一人で過ごせるということ | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

今両親がいるということは、いずれいなくなるということである。

私自身もいずれいなくなるが、何があるかわからないからどの順番でいなくなるかはわからない。

今でこそ親がいるから何とかなっているような気もするが、

現在の境遇を考えるとどうやっても一人になったら生活を維持できると思えない。

なので時折全部ぶん投げてしまいたいと思う時が出てくる。

この際自分を含めた同じような症状の人をある程度の感覚をおいて隔離できませんか、と思うのは日常茶飯事である。

現代の人の世はコミュニケーションの出来ない人間には負担が大きすぎる。

SNSとかいつぶん投げてやろうか、などと不穏なことを思いながら過ごしている。

リアルタイムで人と話すのもくどいのは勘弁してほしいのに、

家に帰っても同じようなストレスフルな環境を維持しなければならないとか、

どういういじめですか、と思って過ごしている。

一人になりたい、とは他の意味もなく、文字通り一人にしてくれ、外から一切関わりなく、という意味である。

ぼんやりとも繋がりたくなく、単に孤独で物事をじっと考えていたい、という時間を確保できない人は私は不幸だと勝手に思っている。

自分のことが常に他人に干渉されるような生活スタイルは自分には似合わない。

他の人には似合っていても、それはそれでいいから、無理矢理自分に着せないでくれ、

などと意味不明なことを呟きつつ今日を生きるのである。