真っ当ではない真っ当な生き方 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

自分はなるべく物事を他人と比べたくはない。比べれば比べるほど自分が惨めになる。

だから比較することを減らして気分的に楽になりたいと思っている。

比較しなければ全力を出すのも所々緩めるのも自由自在である(意味不明)

お金や物品があることは大切なことだが、それが人生の全てではないなどとありふれたことを言うが、

自分自身はこの上なく不安定である。何が欲しいとか言っていられない。

そういう現状で比較をすればするほど本当に自分が惨めになる。ならざるを得ない。

ただ、ゆっくり生きることをすてて、比較の中に晒されれば、自分があくせくして、勝手に暴走して勝手に滅亡する。

欲があるのは悪いことではないと思うが、欲に駆られて引き摺り回されるのだけは避けたい。

真っ当な生き方なんて実際には机上の空論、絵に描いた餅かもしれないが、

そこに近づこうとすることはできる訳である。

世間の真っ当とは自分の真っ当なのかと常に比較して問いながら生きていく、

その時に反社会的なのは駄目だとは思うが、それ以外の自由な部分は極力自分の自由でありたい。

社会的な人格は自分の人格ではない。自分の人格が自分の人格なのである(進次郎構文)