人に「孤独になりたい」と言って通ろうとしているが中々通りにくい。
そりゃそうである。人の中に居て孤独になりたい、という発言をする時点で間違っている。
孤独になった時点で「いつまでも孤独になりたい」と叫ばなければ意味がないだろう。
結果的に孤独になって書けるのがここの文章なのだから、
話している、という意識と書いている、という意識は根拠から異なるものである。
話しながら書く、とか口述筆記ではありそうだが、自分はそんな器用なことは出来ない。
話すことなら話すことに、書くことなら書くことに集中しなければ、ろくなものが出来ない。
誰かと居ればその分だけ意識を分配しなければならないから、
人間関係が不器用な分だけ変なことになるリスクが高まるので、おちおち話しているわけにもいかない。
集中力を発揮して物を書くときは、書くことだけに集中できるから、結果として孤独は助けになっている。
この時間がなければとても苦しくて生きていられない。
自己を何かしらの形で表現するという事は生きるという事である。表現の自由のないところで、どうやって生きていけるだろうか。
救いはないんですか、と言われたら一人で誰にも囚われていない時間が一番救いです、と言いたい。
人の中にいなければ満足できない人がいるように、人の中にいると満足できない人もいるのです。
人の中にいたとしても、後方彼氏面でもしながらじっと見守っている感じ(自称)がいいのです。
くれぐれも会話のメインになんて引っ張り出さないでいただきたい。
それだけでも結構精神的な負担は減るので心の安心に寄与するのです。