あれこれ山に籠りたいとはほぼ毎日思っているけれども、人前で大声で叫んだりはしない。
後々めんどくさい事になりますから。
という感じで必要最小限の人間関係以外はなるべく自然消滅させたいとか、削りたいと思って生きていますが、
福祉関係の人々は障害の特性上長いお付き合いになるのでお付き合い上致命的なミスをする訳にはいかない。
特に上司と言える人もいない以上、私を管理するのは関わる福祉スタッフすべて、と言えるでしょう。
しかしそれ以外の人間関係は極力削る、を念頭においているので、
例えば今までの作業所やケアセンターで知り合っている人(利用者)で連絡を取り合う人なんて、
十年以上経っても片手で数えたりギリギリ数えられなかったりするくらいである。
その位の人数で推移し、福祉サービスの利用先が変わったから特別増えたりするわけでもない。
面倒事を増やしたくないので、世界が広がりすぎる多くの人との出会い、なんて聞いたらそっと卒倒する。
勝手に広げられる人間関係の中には普段まず近寄りたくないような人間も混じっているし、
当然そういう人とは会話も関わり合いも少ない、というかなければない方がいいし、
思想的に受け入れられない人を受け入れる、のは仕事でもないとやらない。
何も貰わずに相手の好き勝手にやらせる、なんて自分にも他人にも等しく傲慢である。
特に自分が協調性なんてないと自覚してからは、本当に付き合う人間を選んでいる。
相手に申し訳がないからである。と同時に、自分が合わない人間だとダメージが半端ない。
何かにつけてこだわりが強いということは、物事に対する柔軟性とか妥協点が少ない訳である。
おまけに気に入らん奴は徹底的に気に入らん、という程度には神経質である。
それさえしなければ何ともないのに、というリミットの線が幾重にも張り巡らされていて、
グロい映画のレーザートラップみたいなちょっとどころではないものが出来上がっている訳である。
よって大体の人は勝手に弾かれるので、落ち着いて(?)プライベートでは家に籠れる。
それ単なるひきこもりじゃないですか、と言われたら返す言葉もありません。
開き直りじゃない、と言われても経験上努力や配慮をしても同じようになるから仕方ないじゃない、としか私は言えなくなります。
私にとっては世の中そういうものです。