礼儀と教養と清潔感は別に障害者でも必要だと思う | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

自分もとても人の事は言えない立場なのは重々理解しているが、

それでも障害者の世界にもある程度、もしくは最低限の礼儀とか教養とか清潔感が欲しい訳である。

せめて全ては無理だとしても、ひとつ位は何とかしてほしい、と、

これまで福祉施設とか作業所にいる障害者を眺めながら思ったものである。

私も礼儀は変に堅苦しいし、ついでにとても神経質だし、教養は知識のある分野が偏っているし、

清潔感はアトピー性皮膚炎のお陰で全部台無しであるから人の事など言える立場では無いが、

話を合わせるにしても趣味や主義が合わないと発達障害のように協調性や社交性がない立場にはきつい。

話を合わせようにもすぐ態度が顔に出たり、嘘が不器用なので体面も取り繕えなかったり、

要するに話していて不快で離れたいのがあらゆる言動に滲み出てくるから、

結果的に人間関係は発達障害がどういうものかを理解している人が間にいる前提でないとどうしても破綻する。

診断前の人間関係などは実に歪んでいてめちゃくちゃだったが、病識もないのに普通を名乗れば破綻するのは目に見えている。

診断後に自分で自分を反省したら人間関係なんて無理に保持する必要はない、というか管理できないものを管理する必要はない、という結論になった。

そうして満を持して障害者の世界に突入して10年は経った訳だが、自分を含めて棘というかアクがさらに強くなり、

横に繋がるなんて一体どうしたら出来るんでしょうか、となった訳である。

事実、障害者の作業所では利用者のプライベートな付き合いを許可していない所もあるので、

私も十分に危険人物だが、教養や礼儀、などなってない人を見たらとりあえず離れたくはなる。

私の世界が濁るからである。教養も礼儀もない人と話すと業が私の中に入って私が苦しくなる。そして抗不安薬でも飲んでいないとやってられなくなる。

要するに話なんてしたくない、というようなのがボコボコ出てくるわけで、

人間関係を捌くのが下手なのが主症状の発達障害にとっては何とも苦しい立場に追い込まれる。

時折定期的に山に篭りたくなるのは昔も今も変わらないが、昔は俗世に嫌気がさして言っていたが、

今は私を筆頭に障害者の何か変な所に嫌気が差して言っているのである。ロクなもんじゃねぇ、というのは理解している。

本当に受け付けないタイプの人が多いと山に、山でなければ密室に篭って在宅ワークが出来ませんか、というのが今らしい篭り方だと思う。

自分だけなら礼儀も教養も清潔感も別に気にしなくていいし、問題にならないからである。

自分には仲間とか団結とか協調性という概念が体感的に理解し難いので、人と組んでも余計に事故るだけである。

今までの経験から自分が色んな意味で無礼なのは変わらないので、

本当に一人で何とかなりませんか、と毎年言っているがそんなにどうにもならない。

誠に遺憾である。