国葬の話は冷酷そう(前編) | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

病院に行って待合室で待っていると、置いてあるテレビのワイドショーで国葬の話が取り上げられて、

会場周りの警備体制とか、要人護衛とか、反対派の活動とか、本当に東京に住むって楽じゃないですね、とは思いました。

シュプレヒコールをあげながら通り過ぎるデモ隊なんて後目にも見たくないです。

その辺は政治の波風の立たない田舎の静かなところに住んでいる事を幸福に思わざるを得ない。

何というかノイズの意見にもならないような、「それってあなたの感想ですよね」と言い切りたくなるような、

単なる叫び声を聞いていると「なんかそういうデータってあるんですか?」とか、

何でもかんでも反対という事が正義でも何でもなく公道(とその周りの人々)を巻き込んだ、ただの意思表明の行動の場、

としか見えなくなって困る。そんな国葬如きで、というと極めて失礼にあたるが、

政治政策でなくて人の葬り方にもそんなに大声を出して歩かなければならないものですか、とは思いたくなる。

そういうのが歩いているから、政治の話を人前でするのは危険だの無礼だの空気が読めないだのと言われる一因になったのだと勝手に思う。

反対という側の方が紋切り型の意見未満の単語の塊をぶつけるようになって、言論とは一体何なのか、

現実は何なのか、真実は何処なのか、などと無間地獄のような様相を呈する訳であります。

話をする側が他人の話を聞く耳を持たなかったらどんな慈悲溢れる声掛けをしても全く意味が無いですね。

俺の話を聞け!5分だけ(実質無期限)とか誰が聞く気になるんですか、荒野で空気に向かって叫んだ方が心が痛む人が出なくていい。

自分ならばゲームや音楽についての取り止めの無い事柄でも5分だけでも腹を割って誰かと話した方が格段に幸せでしょう。

気勢を上げたデモ隊に向けて「今、幸せですか」と聞けるなら一回くらい聞いてみたい気分になってくる、

なんとなく憂鬱な今日この頃。