ある嫌煙家の憂鬱、福祉作業所を添えて | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

生来の嫌煙家は、未だに喫煙所が置いてあることすら我慢できない。

自分が通っている内科のポスターには「最早タバコを吸うこと自体が病気です」とか書かれているが、

何故これからもしつこく値上がりし続ける不健康な代物を有難がるのかが理解できない。

一人暮らしをしていた頃、実家で家族が喫煙をしていた頃、帰省した際に着ていた服を実家で洗濯したが、

家に持って帰ったらタバコの臭いがするので、念入りにもう一回洗濯機に放り込み直した事も一度や二度ではない。

そんな人間が仕事場で分煙がされているだけで納得がいかないのは自然の道理である。

福祉作業所に行くのも長くなったが、自分の経験ではちゃんとした喫煙所が置かれている事は少なく、

単に野外に灰皿を置いただけ、とか、喫煙所の戸締まりや換気が不十分で室内に煙が漏れる、とか、

まずタバコを吸う人間がいればそこから漂うタバコの臭いとかを定期的に喰らってしまうわけで、

そして臭いがする時点で受動喫煙になるでしょう、どうするんですか、と突っ込みたくなるようでは、

タバコを吸う人が視界に入る時点で納得がいかない人間には適応しがたい環境だと思う。

そもそも自分を含めて作業所に通う時点で収入なんてお察しだと思うのだが、

タバコという嗜好品の呪縛というのはそんなに逃れ難いものなのだろうか。

そのタバコやめたらもう少し生活楽になりますよね、とは毎度毎度思うわけである。

産まれた時からタバコの煙に囲まれて心底嫌になった人間としては、タバコの何が人を惹きつけるのか、

吸い始めなければ中毒にならないのに、などと毎度しつこく思うのである。

車の中で喫煙なんてされたら車から降りてくれないかと言いたくなるのは初歩で、

喫煙を済ませたばかりの人が近くに戻ってくる時の臭いとか、

喫煙所がガラス張りになっている時の室内の白さ加減とか、喫煙していて疑問に思うことはないのか、

タバコを吸う人を見ながら腹が立つというか時折諦めムードを挟んだ後ろめたい気分になるのは日常茶飯事である。

誠に遺憾である。