写真に人を入れたくないし自分も入りたくない | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私は写真を撮るのが好きである。何かと折に触れ、季節とか何気ない風景を大切にしたい。

ただし人間はなるべく写したくない。確定的に明らかである。ついでに自分も写されたくない。

どこに旅をしてもなるべく人間は入れないようにするし(例えそこが都会であろうと)可能な限り人間は写さないようにする。

人間って写真で一番余計な物体じゃないですか(意味不明)

最近の写真加工アプリで、映り込んだ余計な何かを簡単に無かったことにできるようになった、とかCMでやっているが、

そう、それそれ、と思ったものである。人を写すということはプライバシーを写すということである。

出来る限り面倒なことは避けておきたいし、何か偶然に写った人の写真でアリバイでも崩せない限り人が写る意味はないだろうと思う。

昔のソ連の写真で、スターリンと一緒に写っていた人物が粛清されたあと写真からも力業で存在しなかったことにされる、というものがあるが、

出来れば自分が写り込んだ写真もそんな風に消せないかな、と思う時がある。

自分が写っている写真なんて運転免許や身分証の正面を写したのが有れば十分である。


自然とか動物とか人工物を相手に、黙々とシャッターチャンスを待ちながらじっとしているのが私の性に合うのです。

ファインダーを覗いている時は、人間などモブ未満の有象無象にも満たないような感じで、

出来ることなら視界にも入れたくない、と自分はカメラを持つと思うようになります。

やらないとは思うが、個人的には誰でもこっちを向いてピースサインをとられると蹴りたくなる。

はい、そこ邪魔ですから大人しく調和の取れた風景を撮らせて下さい、と言いたくなるのである。

当然自分も蹴られたくないので他の人がカメラを構えていたら絶対に前は通りません。

写真を撮るのが好きという人間の言える言葉ではないとは思うが、やっぱり人は写真に要らない。自分さえも。