愚痴の溢れない世界とは無理な話なのだろうか | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私自身、とてもポジティブな性格、とは言い難いが、かと言ってネガティブな話が溢れる場所にいたい訳ではない。

人の悪口(大体中傷とか名誉毀損)なんか聞いていると簡単に胃がやられる。

別に悪口の矢印が自分に向いていなくても、いい気分にはならないものである。

誰かの悪口で話題を共有するなんて、考えるだけでめまいがするし、時折立っていられなくなる。

愚痴や不満や誹謗を言うためにこの場所に来ているのか、そうであるならば席を外したくなる。

少なくとも自分は人の悪口なんて言っても聞いても娯楽にもならない。

人の批判をすればそんな権利は自分になどない、

というような結果を積み重ねて過ごしてきたので、

何か嫌なことを喋るぐらいならむしろノータッチ、の方がどれだけありがたいことだろう。

というか今現在インターネットでの中傷行為が厳罰化され、色々見る目も厳しくなっている時代、

別にインターネットでなければ何を言ってもいい、なんて都合のいい世の中になんてならず、

むしろ人の顔が見えているからこそ言論にはより一層の注意と節度が求められる、と思うのだが、

悪口を言いたい人の言葉のトリガーなんて実に軽いものだと思いました。

それを言ったらどうなる、という因果関係も理解できないようであれば、世の中に出たらどうなるか、なんてなんとなく理解できそうなものである。

私が障害者と認定されてから、属しているのは障害者向けの作業所だから、

障害者だから、作業所だから誰かの悪口を言っても良い、ということには決してならないだろう。

むしろメンタルがボロボロだったり、色々そこにたどり着くまでに訳があったりするのだから、より一層言論には慎重でなければならない、

という理想の上を悪口はいとも簡単にすり抜けて行く。望みも虚しく、と言うやつである。

所謂「大人の対応」が全員できればいいが、障害者の作業所である以上、

何を聞いても聞き流せる保証のないような障害者が万が一入ってきたら愚痴を言うと一体どうなってしまうの、とは思うのである。

自制が、理性のセーブが効かない人が自分の近くに二人でも集まれば、

私はそこから逃げたいと思うことになるだろう。とりあえずロクなことにはならない。

たとえ不満があるとしても、それは公の場で雑に聞こえるように口にすべき話題ではない。

何らかの不満は然るべきところで然るべき方法をもって公正に処理されなければならない。

簡単に何もかもを批判したりする人の近くで、私は仕事に取り掛かりたくない。