あちこちの作業所に通っていると、時折自分の主観的な好みに噛み合わない人々も出てくるわけで、
そういう人と話をしなければならなくなるととても疲れる。
自分は人間的なやり取りが不器用と自覚しているし、実際人間的な振る舞いもとても不器用なので、
空気が読めないとか、協調性がないと言われるのは結構よくあります。
そういう人間とプライバシー上どの障害かもわからない人間をぶつけると稀によく正面衝突します。
探り合いとか下調べもしていないし、プライバシーの都合で必要なデータが集まらないのであれば、
更に激しくぶつかるでしょう。
自分からうまく喋れないので、意思疎通とか一体何なの、という結果になることも結構あってその度に憂鬱になる。
最終的に、あれ、自分は一体何のために作業所に通っているのか、などと思うことになります。
別に話をしたくない人には無理に話を振らない自由がなければならないが、
日常会話で聞きたくもない話を聞かされるのも自由、というのだけは何かが違う、と思う。
どこまでも無言で、というのも違和感を覚えるが、だからと言って何でもかんでも喋っているのもどうであろうか。
TPOというか、人前で政治や宗教など対立的構造のある話をしないとか、
どこで誰が聞いているのかも分からないからプライバシーの身も蓋もない重い自分や他人の身の上話をしてはならない、などなど、
人と会話をする上で必要最低限の基礎的なルールやマナーくらいは守ってほしい、
それが守らなければどうしても、何をしても不安や憂鬱になってしまう、
と空気の読めない人間に思われるなんて相当な物だと思うわけである。
というわけで自分から話すときは相手の立場に立った会話を心がけましょう、とは最近よく思うのである。
別に自分が説教を喰らっているわけでもないのにとても気が重くなるのは、果たして空気として正常なのか。