(自閉症スペクトラムにおける)高齢化社会の欠点 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

田舎に帰って高齢化社会を目の当たりにすると、果たして何をするべきなのか、と途方に暮れる。

何か地元の趣味などの活動でもしようと思うこともたまにはあるが、実際動こうとすると選択肢があまりないわけで、

一旦何処かの組織に入って動こうとしても自分がそんなに若くないのに一番若い、

近くに買い物に行っただけでも時々一番若い、などというのはそれなりにあります。

自閉症スペクトラム(発達障害)は気が利かない、空気が読めないと言われるのは日常茶飯事ですが、

一番若いと(別に若くないのに)より一層気を遣わなくてはならない事態になるのでございまして、

空気が読めないという自覚があってもどう動いていいかわからないと結果はやはり空気が読めない以外の何物でもない、

という笑えない事態になってしまうのであります。誠に胃が痛い。

空気が読めないのを気に病まなければ(別の意味で酷いですが)ストレスを抱え込まなくていいかもしれませんが、

空気が読めないけれど気には病むので、心身にストレスがかかってより一層空気が読めなくなる。

どうにかしたい、でもどうにもならない、くらいのレベルに達したら人前に出たくないなんて割と普通に思うようになります。

この時期盆踊りとか夏祭りとか何かある時期ですが、踊りの輪の中に入ろうとするような気もなく、

どこかの端っこでじっと成り行きを見つめているだけでいいじゃないですか、とか思うようになります。

そんなやつを強引に輪の中に引き摺り込んでも誰もろくな目に遭いませんよ、とは言いたくなる。

何かの弾みで空気が読めないのがバレればあとは好感度も急降下するだけで、

誰も何も触らないのが一番幸せだった、とか言われてしまうようになるのです。

別にマウントを取りたい訳でもないが、立場が一番下にいると空気が読めないのは露骨に欠点になるわけで、

年齢というどう足掻いても越えられない壁がある以上、何をするにしても気を遣わねばならず、

しかし気を遣うというのが体感的に、社会的に把握できない以上、不具合、不審な挙動しかない訳で、

本当に悪い意味で不動の位置に固定されたまま負荷をかけられれば、

そこにいるだけでストレスとうつ状態とそれによって一層空気が読めないのが悪化するのでありまして。

どこにも入らなくていい、どこにも所属しない自由とか無性に欲しくなるのです。

自分がどこにいても大体一人になりたがるのは大体そういう意味です。

全部悪かろうが自分でコントロールするから頼むから一人にしてくれ、とか、

病状からしてそれが暴言だけれど一番平和という何の解決にもならないような解決方法が適切、

などと意味不明なことを呟きながら、どこでも大体年齢の壁がある場所に突っ込んでいくのです。