続・誹謗中傷の厳罰化に寄せて | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

私がTwitterとかLINEとかやらん、と思っているのも大体自分が何を言うかわからないからです。

コミュニケーションが苦手な人がコミュニケーションが必要な空間に常日頃晒されると、

逃げることも出来ず、かと言って何かを言わなければいけなくなるような気がするので、

迂闊に口を滑らせてしまい失言と暴言製造機と化す、なんてことは自分にはよくあることです。

そしてそんなアプリなんて無くなってしまえばいい、となって大体目につくようなSNSを敢えて入れないようになって今があります。

急に話を振られると何を言い出すか自分でもわからないようなものには、

それ相応にSNSを使わなくても良い、という空気が醸成されるべきだと思うのです。

要はSNSを使わなくてもいい権利とか、インストールを断る権利とか、そういうものです。

口は災いの元、と言いますし、何も言わないで済むのであればそうなってしまいたい。

あれを言ったこれを言ったと事実確認だったり、色々媒体に残るようなことは言いたくない。

今回の参議院選挙運動でも例の如く失言が飛び出したりしているが、何も言わなければいいのに、

雉も泣かずは撃たれまい、と言うように、下手に技巧をこらしたり、演説でテンションが上がらなければいいのに、

発言をする能力と実務をする能力は違うのだから、適材適所に、演説には演説に適した人を当てればいい、などと思うのは気のせいなのだろうか。


自分が何を過去に発言したか、を気にかけてあれこれ悩むので、

自分のことはあれこれ言えても、他人のことをあれこれ言える勇気はない。

特定個人に絞る、なんて余程気に触る事でもない限りやらない、だろうと思う。

言葉は斧である。実にあっさりと人を傷つける斧である。喋らないで生きていけるのであれば、なるべくそうしたい。

先述のように自分が何を言い出すのかわからないのが一番怖い。言葉は徹底した管理下に置かれるべきである。

そういう意味でSNSなんて使いたくはないが、正直電話もメールもそんなに使いたくない。

近くに知り合いも連絡を取り合う仲間もいないので今はまぐれで助かっているが、

これから先地域でまたどんな人間関係をぶち当てられるか解ったものではないのが一番恐怖である。

地元というのはこういう時に逃げ場所がないのが困る。