自分が凡人と変わらないこと、突出した才能とかそんなものはないことは理解できたが、
自分が凡人未満であるということを認識するのには結構時間がかかった。
最後の崩したくないプライドというか、砂の山に旗を立てて雨に流されて倒れるのを見るような、
何とも言い難い心情にはなった。診断を受けて手帳を取って年金を受け取るようになった後も、
何かしら心に引っかかるものはあるのです。こんなはずではなかったと。
認めないなら認めないで往生際が悪いし、認めたら認めたで自己肯定感とかダダ下がりで、
アイデンティティの危機というか、僕が僕らしくあるために好きなものは好きと言える気持ちとか、
色々なものを崩してしまったような気もします。
人間関係はアイデンティティを問いただしている内に文字通り崩壊しましたが、
改善が見出せないものと一生付き合うのには何もかもを捨てるような覚悟が要るのです。
とは言え知能自体が低い訳ではないから、自分の何処かがいけないというのは認識している訳で、
罪と罰と一人で延々と闘い続けるような、というととても疲れるので、
一人でいる時だけとことんエゴイストになっている訳でございます。
人との付き合いに遅れをとっていると自覚しているが実際どうにもならないと、
人付き合い自体が気分の悪いものになってくる訳で、後ろめたさとか、後味の悪さとか、
人間のえぐいものがそのまま本当にえぐく、人と人の間にいるだけで胃とかの調子が悪くなる、
適応障害を悪くこじらせたような、そんな感じに仕上がっております。
多分途中で精神の病院に行かなければ、それはそれで生命の危機に立たされていただろう。
あとは死なない程度に折り合いをつけながら何とか走り切る、
二十代から晩年、とは診断後に自分の中ではよく思ったものでございます。
まだ若いのに晩年とか言うのはどうか、とか二十代の時は言われましたが、
高校生の時にネットで適当なサイトで精神年齢を測定したら、
何をどうあがいても五十代以上になったので、恐らく想定通りの晩年なのでしょう、
測定からもう二十年は経ったので(意味不明)