私は外を出歩くとき、なるべく何も手に持ちたくない。
いつもショルダーバッグを肩にかけて、一日の生活の上で必要なものは大体その中にしまって行動している。
お陰様でジッパーが壊れたり、詰め込み過ぎで布の膨らんだところから破れて数年おきに取り替える羽目になりますが。
あと手持ちのバッグは紐があったら意地でも腕に通します。
そこまで手には何も持ちたくない。どれくらい持ちたくないかというと、雨の日にも傘を持ち歩かないくらいに持ちたくない。
長いものを持つとだいたい振り回したくなりますよね(意味不明)
傘を持つだけでも気分が憂鬱になるのだから、それ以上のものなんて本当に持ちたくない。
ショルダーバッグを持ち歩かない日は具合が悪くなりそうである。それほどまでにワンパターン化している、とも言える。
急にハンドバッグとかセカンドバッグとかを持ち出そうとすると、多分その辺に置き忘れるのではないだろうかと気が気でない。
振り回したくならないものは本当に短いものだけである。具体的に言えばスマホとか。
とりあえず竹の物差しで30cmもあれば振り回したくなると言っても過言ではない。ある意味重症である。
普通の傘ではなく折り畳み傘を持てば安心、なんて口が裂けても言えない。
どれぐらい重症かというと京都旅行にでかけた時に1mくらいの竹の棒を買って飛行機に乗れなくなってしまい(実話)
宿泊先のホテルから自宅に郵送で送るくらい重症である。当然同行者からは呆れられました。
「よくこんな単なる竹の棒を買う気になれましたね。さっぱりわけが分からない。」と今なら言えるが、
ノリと勢いにかかればだいたいのことは忘れ去られる。
なので現在は最初から何も持たないで外に出るようにしている。雨に濡れてもお構いなしである。
だけども問題は今日の雨、傘がない(持っていないから)なお家にも傘という存在はありません。
そんなのおかしいよ、妥協したらどうか、とか言われるとは思うが、それ以上に物を持ってやらかしたときの損失、
心理的な悪影響が大きいと自分で考えているから、恥になることはできるだけやりたくない。
知らない人なら笑って許してもらえるかもしれないが、知り合いとかに見られたら大ダメージである。
存在自体がある意味恥なのに、どうして恥を重ねるようなことをさせるんですか。まさに生き恥をさらす、である。
以上のことを踏まえて、強迫観念のように手に物を持ちたくない、ということを力説しているわけです。
気のせい、で済めばどれほど良かったでしょう。
長いものを持てば、重心がこの辺りで、重い場所を的確にターゲットにヒットさせるためにはどうすればいいか
などという訳のわからないことを必死に考えるので、やっぱり持たないほうがいいと思います。
なお家には武器事典、などというその手のマニア必須の本が鎮座していたりします。
ミリタリーマニアですから仕方ありません(ただし空軍は含まず)
しかし、いくらINTやEDUが高くてもSTRとCONとPOWとSANが低ければ何を持ってもどうしようもありません。
誠に遺憾であります。