自己の存在自体が敏感になること | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

引っ越しに関する手続きを色々やっていると胃が痛くなる。

何故十年前にやれていたことが今胃痛の種になっているのかは理解に苦しむが、

やらねばならないことはちゃんとやっておかねばならない。

ちょっと十年一人暮らしをしている間に人間離れと人間嫌いを順当にこじらせたようである。

正直実家に戻っても人間関係を増やす気が起きない。

というか地元で過ごした学生時代は一応発達障害の検査はなかったか、あるいはパスしていたから、

ある意味負い目を感じながら故郷に戻るわけである。繊細と言われたら返す言葉もない。

昔の関係にも簡単に陰りがさすような状態になって、障碍という言葉をポンとお出しされて、

はっきりと動揺しない人なんて、そんなにいないのではないかと。

自分でもどう取り扱うか混乱する時もあるのに、他人を混乱させないことはなかろう。

敏感になるとは、自他を含めて敏感になるということである。それも巻き込む形で。

何もなければそれでもよかったが、何もないで済まされる状況ではなかった。

なりたくもないものになっているし自力でも完璧にはどうにもならないのに、

私自身が間違いなくセンシティブな、敏感な存在になってしまっている。

人間関係のゴタゴタでうつ病とかもついでに診断されたのに、

存在自体が敏感とは本当に何のイジメなのかと思う今日この頃である。