逃避したい者の心 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

最近のロシアとかのきな臭い話しを聞いていると、「何が始まるんです?」「第三次大戦だ」などと思うようになって、

どうしようもない危機感に襲われて唐突に何処かに逃げたくなってくる。

別に理由があってもなくてもいいのだが、人が分からない、と思った時が逃げ時である。

所謂現実逃避、という奴である。

よく仕事では人脈とかコネクションが大切だとか言われる訳でありますが、

仕事で必要なコネどころか社会生活に必要なコネすらないのが現実でございます。

そういうのは大部分福祉施設に置いておければいいかな(投げやり)

元からコミュニケーション能力が低いと、社会に訴えかけても大抵大惨事になる。

失敗した信頼と実績があるから、植え付けた先入観を覆すだけでも途方もない労働量に追われるだろう。

むしろかえって悪化しかねない。

人情に訴えるなど、人情が欠けている人間に出来るだろうか。

と言うか社会人時代はそれをやったんですよ。必死に。その結果がこれなんですよ。

自分に期待して負荷をかけまくった結果、周囲にそれ以上の負荷がかかって重荷になるとか、

ふとしたきっかけに、これ自分がいなくなれば済む話じゃないか、というか、それが答えなのではないか、

要するに駄目なのは自分だ、ということで大抵の話が完結してしまうのであります。

人に徒らに負担をかけるなら、かけないようにいなくなるのが一番平和なのではないか、

とか思って仕事を辞めた時もあるし、ある意味自分は排斥されて当然という認識である。

それで双方の思惑が一致するのもどうかとは思いますが、どうあがいても一致してしまうのだから仕方がない。

自分で自覚しないまま毒を撒いているのなら、自分が逃げたくなるのも必然である。

どこに行っても釣り合いがとれないような存在ならば、どこか遠くに行ってしまいたい、

学生の頃は世間に向かってこの俗世とか毒を吐きながら世俗に交わらないように生きていましたし、

色々わかってからは自分が毒そのものじゃないか、こりゃ世間とは相容れない、

と自覚症状を書き連ねたら、やっぱり自分が毒物じゃないか、と結論づけるしかなくなってしまいます。

こんな体たらくで、一体どうやって自己肯定感を育てられるのかと思うのである。

一番平和なのは誰にも何も言われない事ではないか、と思うのもある意味必然である。