ちょっとだけどうにでもなれという気持ち | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

27日から緊急事態宣言の範囲になるところが増えるので、

直近の数字を見ていればそりゃそうだ、むしろ遅きに失したのではないか、とまで思う。

自粛したり半ばひきこもりのような生活スタイルを長期に実行していると、

一日に数回は「もうどうにでもなれ」とか思う。ロックダウンしろとは大体思っていますが。

別に新型コロナがなくても外に出ない時は出ませんが、気分でふらつけないのだけは困る。


もうどうにでもなれ、と思っても、別に新型コロナがなくても外にはそんなに出ないし、

時々外に出る時に極端に動くだけなので、飲み歩きにも出たりはしないし、

いきなり「ウェーイ!」とか叫んで外に躍り出たりもしないし、

いきなり庭で肉を焼いたりもしない。

頭の中でディストピアの極端な例を思い浮かべたり、

『1984』とか『ソイレントグリーン』等々の極端な状況を想像してちょっと変な気分になるだけである。

移動するにも『Papers,please』というゲームのように、かっちりとしたパスポートが必要になったり、

色々な手続きが面倒くさくなったりするのだろうか、などと思い浮かべるだけである。

むしろ現実社会がこの際限定的にもうちょっと人間を監視してもいいのではないかなどと、

意味不明なことを徒然と並べ立てるだけである。

若干思考の傾向が赤い気もするが、小中学生とかの敏感な頃に日教組の活動を目の前で見ていれば、

触れていない方に違和感を感じてしまうときもある。

とにかくなんかゆるゆるな世の中をもうちょっと縛り付けられないか、と思うのが、

私にとっての「どうにでもなれ」である。

自分は家の中にいながら、窓の外の監視社会を眺めている、そして外出する人が減ることに幸福を感じる、

多少どころでなく歪んでるとは思うが、色々な事が起きてもそんなに世の中が変わっていないように見えると、

もうちょっと変わってもいいのではないかなどと思ってしまうものである。