オリンピックも素直に開催されるとは思わなかったが、何このスキャンダルの山。
選手や競技そっちのけでいともたやすく行われるえげつない行為、なんて目の当たりにするとは思いませんでした。
やった方もえげつないが、それを取り上げたり囃し立てる方も、
いや、煽る側の方がさらにえげつないと実感いたしました。
炎上を煽る芸風はマスコミの専売特許のような物ですが、SNSで簡単に一般人が便乗できるようになった結果、
煽りがさらに加速して火に油を注ぐような、片っ端から燃やせる物を燃やしているような、
ちょっと前にテラスハウスで起きた誹謗中傷の一連の流れで一体何を学んだのか、と、
首を傾げたくなるような盛り上がりに、人間味って一体なんでしょうか、と思う。
けなしても死なないならそれでいいのか、とか思ってしまうわけである。
新型コロナでも感染者の数だけを過剰に強調したり、観光業に被害が出たらやけにそこだけ取り上げたり、
人にものを伝える、というのは、そんなに感情を動かさないとやってられないのか。
などと、人間の人間的な感情表現に嫌気がさして半分くらい世間から逃げ出した人間は思うのであります。
別に自分は盛り上がらなくてもなんでもいいからそっとしてくれないか、
と何かが過剰に盛り上がる度に思うのは不自然なことなのだろうか。
とりあえずマリトッツォは持ち運ぶ時と食べる時にクリームがしょっちゅうはみ出すので「ないわー」と思いました。
でも、だからマリトッツォが流行るのがけしからんとか、排斥すべきだとは思いません。
「ないわー」とは思うけれども、誰かに積極的に伝えていこう、とか同調させよう、などとも思いません。
怒ったり貶したりで感情を消費するような娯楽とは、果たして娯楽と言えるようなものなのか、
それを娯楽と真顔で言うのであれば、たぶんその人とは反りが合わないだろう。