発達障害がなければ、自分の行きたい学校に行き、自分のやりたい職につけたのだから、
余程のことがない限り、もうちょっとは、というか普通に仕事をやり続けていたのかもしれない、
と考えると、悲しくてやりきれない。何故に自分を呪わねばならないのか。
毎月毎年別な誰かに「いやあなたは別な職についたほうがいい」と言われると、流石に精神が凹むものです。
その後診断を経てもっと凹む羽目になりましたが。
自分の夢とする職業の訓練しか積んでないのに、他の仕事を、と言われても、正直詰むしか無い。
結果としてあれこれ経て作業所通いになりましたが、普通に働いてあれこれ凹むことを言われた分、
作業所ではあまり言われないので精神的には気楽である。
あれこれ事故とか、罵詈雑言とか、不手際とか、不都合のオンパレードを無制限に繰り返すのを自発的に繰り返せば、
もう昔の仕事には行きたくない、と思っても仕方がないだろう、と思う。
唯でさえ精神が歪んでいるのを、トラブルでガリガリ削っていったら、傷ついても何ら不思議はない。
何処までも楽をしたい、というわけでもないが、苦難ばかり背負わされて見返りがなくなると、
人生自体に嫌気が差してくるものだろうと思う。
普通の仕事をやるには、あまりに利益、というか自分の成果として得られるものが少なすぎた。
得られないようなことをしているから当たり前だろうとは思うが、それならもうちょっと早く気づくことはできなかったのか、と思う。
一時期は生きていることすら申し訳なくなったぐらいである。
時折抗不安薬をあおりながら生きているが、なら自分は一体何だったら良かったのでしょうね、とか、
考えすぎるとフラッシュバックを起こしたり、精神的に深手を負ったりするので、
現状、自分が考えうる限りでなるべく安静な場所にいるので、深刻に考えないようにしている。
深刻に考えればそれこそ身がもたない。喚き出したり壁を叩き出したりするのは、どう考えても精神的平衡を失っている。
それをしないように、過去の大部分のきつい思い出を記憶の底に埋めておかなければならない。
たまに記憶の色々を思い出すときに、間違ってその埋めたきつい部分を掘り返してそのままフリーズしたり、
フラッシュバックを起こして目の前が真っ暗になるようなことがあるので、なるべくなら放っておきたい。
あとは深刻な記憶に触れないように毎日をルーチンワークと趣味で流すだけである。
診断前まで散々人を振り回してきたので、診断を経てからもう人を振り回したくなくなったし、これからもそうである。
昔の仕事に対する理想を考えたら180度近い転向であるとも言える。
自分が自分にどれだけ向いていないことを課してきたか、ということでもある。
適職とかいう言葉を考えずに理想を追い求めると、まあこうなるよね、としか言いようがない。
尤も今考え直しても適職って何ですか、とは思う。
ブログで何度も書いたが、中学校の時の適職検査とかいうもので、「どの職にも向かない」と太鼓判(?)を押されたことがあったし、
親にも「お前は一般の企業勤めには向かない」とは診断前から暗に言われてましたが、
正直どうすればよかったんでしょうね。