「コロナに負けるな」とは言うけれど | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

最近街中のポスターに、「コロナに負けるな」とか書いてあるのを見かける。
何か相手のあるスポーツとかならともかく、ウイルス相手に負けるなと書かれても、
それって勝ち負けで論じることのできる相手ですか、と違和感を感じざるを得ない。

ウイルスは勝つとか負けるとかではなく、如何に感染しないように守り通すか、
万一感染してもうつさないような生活様式を保つことが重要であって、
相手を倒すというイメージではない。
負けるというのは、勝つという言葉があって成立するもので、
コロナが勝者になり得るのか、人格もなければ理性もない。
そして人間側もやることといえば防御策ばかりで、
薬やワクチンが完成するまでは、そもそも勝つとかいう次元には登れない。
それまでは殴られながらレフェリーに「ギブアップ?」とか言われ続けるようなものである。
それで負けるなとか言われても勝つことが難しいのだから、
何とか引き分けに持ち込むしかないが、本当にそれは負けていないのか、とは思う。

なので守り切るとか耐え切るとかという、「勝ち負け」などよりも優越のない感じの言葉の方が、
違和感を感じなくて良いのではないか、と考える今日この頃である。