「新しい生活様式」というフレーズを聞いたときに、
ついつい東京事変の「新しい文明開化」が思い浮かんでそのまま曲が頭の中で流れてしまう。
そんな自粛日和でございます。
いろいろなメディアで「新しい生活様式」の例が示されているが、
実際完璧にやろうと思ったら引きこもりとかのほうが完璧にできるんじゃないの、とか思う次第でございます。
今までの生活様式を頑なに繰り返したのでは色々と死ぬのではないか。
引きこもりに片足突っ込んだ自分なら新しい方でも半分ぐらいは造作もなくできるのだが、
それが良いことなのかどうかはわからない。
なにせ関わる人間を極力少なくしてあるから。
習慣的に会う人間もいなければ、仕事(作業所)で会う人間はプライベートには関わらない。
私生活は極力一人でできることしかしない。
例の漫画の例の人間がいたのならば、
「つまり世界は滅びる!避けるためには全員極力隠遁生活を送れってことなんだよ!」(な、なんだってー!!)
とか普通に言いそうで怖い。
通勤とか通学とか買い物とか混んでいる時間を避けて、とか言われたら、
通常の時間を避けた人間分ずれるから結局混むのではないかとか、
会話するのにあれこれ注文がかかるのならそもそも会話しないほうがいいのではないかとか、
普段会話のない人間は思うのでありまして。
会話さえなければ別に人と正面で向き合うこともないとか変なことを考える。
電話嫌いなので別に注文するようなことも誰かと話すようなこともないし、
メールとかSNSもついでに使わないので「どうして生きているの」とか言われそうだが、
これが「新しい生活様式」なんだよ、と開き直れるような時が来ているのかもしれません(意味不明)
もうゲームもSteamやゲームハードでダウンロードするような時代になりましたから、
パソコンかゲーム機があればゲーム屋に行く必要までなくなってくる。
最新作が出たから家でポチッとダウンロード、これで引きこもりを推奨していなくて何であろう。
乗り遅れる人間は余計な時間外をほっつき歩くことになるだろう(譫言)
つまり感染リスクも高まる(譫言)
あとは衣服と食べ物さえダウンロードできればもう外に出なくていいような気もするんですが、
電子データではないので無理だから最低限外には出なければならない。
ただ、その外出も某事業仕分け班のように「スーパー無駄遣い」にしなければならない日が来るかもしれない。
行くのがスーパーなだけに。
さて、もう一回「新しい文明開化」を聴き直すか。