自粛の先にあるもの | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

どうせなら休日よりも平日の行動を自粛する様に行政は訴えかけるべきではないのか。
と、別にコロナがなくても休日の移動距離よりも通所距離の方が長い人間が言ってみる。
というか去年の台風とか大雨の災害があった時にも同じような事が言われていたと思う。
何故そこまで無茶をして行動しなければならないのか。
本当に痛い目に遭わないと止める事すらままならないというのを普通と言えるのかどうか。

児童生徒が学校に行くことは止められたが、大人が自発的に止まることは出来なかった。
大体止まったのも子供が家にいることで家事が増えたとかの消極的理由である。
流石に一気に休むと影響が酷すぎるとは思うが、段階的に止めてもよかったのではないか、
と、昨今の国内外の報道を見て感じるものである。
多少過剰に反応してもよかったのではないか。
行政が「すぐに対策を講じる」とは言っても、実際に意味があるのは実行されてからである。
実行されるまでは無力以外の何物でもない。
改革とか言っていろいろ変えても、変更が根付くまでにはしばらくかかる。
そもそも改革される前に倒れてしまえば何の意味もない。
制度上即動けないのは理解するが、決めるまでの時間が長すぎれば動いていないのと同じである。
とりあえず肉とか魚とかで揉めている時間ではないと思いました。

手洗いうがい等自力で防衛はするに越したことはありませんが、
個人個人の努力では賄いきれない部分がこれから生じてくるだろう。
その時ちゃんと危険な行為を止められたり、ある程度の補助が得られたりしなければ、
政府が政府として存在する意味はあるのか、とか考えてしまう。