広汎性発達障碍と言われてからの時間が、まだそう言われる前の時間より長くなっていません。
あと干支が一回りしないといけません。
そろそろ生活も身の幅に合わせてダウンサイジングしなけらばならないだろう。
明らかに収入と支出のバランスが取れない。親が仕送りしなければ死んでいる。
工賃と年金だけでまかなうとするならば、家賃もそれ相応にしなければならない。
ただ家賃と周囲の環境は比例する感じだと思っているので、
安易に家賃を下げていられない。
だから発達障碍専用のコミュニティを構築する構想をすることは無駄ではないと思う。
なぜなら、知的や発達というのは、親がいなくなればだいたい独り身になる、
知的は施設があるが発達にはそんなにない。
あるとしても生活保護とかあるいは他の障碍と混在したグループホームだろう(勝手な決めつけ)
結婚とか社会性がないとまず困難なので、まとまろうにもまとまれない。
たぶんもろに8050問題に直面するだろう。
発達同士ならば心の読み合いが少なくなるので、それなりになんとかなるだろう。
最悪そこにいれば生存報告ができるようになればいい。
部屋の中に生存スイッチを置いて、一日定期的に押さなければならないようにする。
連絡が無ければ亡くなったということで。
メンターは必要だが、そこは施設ということで妥協する。
とりあえずコミュニティ内に作業所を作れば、能力に応じて工賃も得られる。
こだわりの得意分野を活かせば何かユニークなものを作れるかもしれない。
現状問題なのは発達障碍者が点でしか存在できなくなっていることだと思う。
このままでは孤独死上等だし、点在する自宅に訪問するヘルパーの手間も増えてしまう。
そこで全部集約すれば人も社会資本も集まってウィンウィンだと考えるのである。
多分イマジン並みに絵空事を言っているだろう。
ただ今子育ての段階にいる子供の発達障碍者が大きくなれば、
当然いずれ何処かに行くことを考えなければならない。
親子ということは、親がいずれあらゆる意味でいなくなることも、
当事者の側でしっかりと認識できないといけない。
いつまでもあると思うな親と金、である。
そして人は一人では生きられないが、発達障碍者が生きるには色々厳しい部分が多い。
だからまとめるような場所は必ず何処かになければならないと思うのである。