個人的には自分が子供の頃よりも、左側右側の情報が手に入りやすくなった物だと思う。
自分が子供の頃はもう、手に入る物が左側のものしかなく、
教師が左そのものであったから、右ってどこにあるの?というような状況だった。
散々日本の非道を貶されて家に帰り、親父の部屋にある「丸」を読みながら、
戦前と戦後の断絶を割とぼんやり感じるだけだった。
その内教師の空気を読んでなんとなく左側になり、なんとなく育った。
自分は歴史書、というよりはミリタリー関係の本を読んでいながら、
ぶっちゃけ大学まで軍事オタクで左側の人間だった。
なんだこの矛盾した存在。
そこから急転直下、本当に急に左側から脱出したころ、
左右どちらの側の情報も手に入るようになった物だと感じている。
とにかく過去に何もかも汚点をかぶせるのが嫌になった。
現状の韓国との関係も、昔ならこの状況でも頭を下げるべきだとか平気で言っていただろう。
疑う余地もなくそう思える自分が怖い。
なんかこう、洗脳、とか言えば言い逃れになるとは思えないが、
はまると何処までも進んでいくのが自分の悪癖である。
左側に染まっていた頃は、本当に染まりきっていた。
脱却した頃も、一時期『正論』(産経新聞の月刊誌)しか読まないような状況があった。
今はもうどっちにも肩入れするようなことをせずに過ごさないといけないと思っている。
はまったら止められないから。
過ちは繰り返してはならないのです。
そして「政治と宗教の話を公の場でしないようにする」という空気を読んで、
だいたいひそやかに過ごしていますが、こういう日には言いたいこともあるので、
人前では話さずに、ここで書いておくだけにしておく。