反オノマトペ主義 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

実際の所はどうかは知らないが、周囲にオノマトペを意図的に嫌っている人間を見ない以上、
オノマトペを嫌っているのは自分のみの信念上、あとは音色上、確固たるものだと思う。
使いたくないものを使うことほど不合理なことはあるまい(譫言)

擬音語、擬態語というのは、大体日本語化されると、私にとって鳥肌ものに聞こえる。
鍋がぐつぐつ煮えているの「ぐつぐつ」は言わなくても通じるものだと思うし、
あえて「ぱたぱた」とか「ことこと」とか使う意義が感じられない。
あと、そんなに大きくなっていない時期から、幼児語というのは気にくわないものだった。
車は「ブーブー」ではないし、犬は「ワンワン」ではない。
車は車であるし、犬は犬以外の何物でも無い。
そういう自分にとって訳のわからない言葉遣いというものは理解不能以外の何物でもない。
むしろ使わない方が清々するだろう。

漫画では音は描かなければ見えないものであるから、オノマトペも妥協しなければならないし、
むしろ使った方が伝わりやすいこともあるだろう。
然るに、日常生活におけるオノマトペというのは、確固たる動機を持って使用されているのだろうか、
別に使わなくてもいいところに使ったとことで何の解決になるわけでもあるまい。
無理矢理音を言葉にするぐらいだったら、本当はない方がいい。
それは音として確かだけれども、言語として確かではないからである。

という、別に生活にとってそんなに重要ではない些細なことを細かく規定して、
拘りを持って譲らない、というのは自閉症スペクトラムの人間にはよく見られることです。
いや、オノマトペが日常そんなに重大なことではないというのは、薄々感じていますが、
それでも敢えて言わなければならないし、書かなければ人は説得できないし、
となればこのように文章に起こさざるを得ないのです。
たとえそれがどれだけ些細なものであっても。

多分健常者なら感覚的に違和感があっても、さっと受け流すことは出来るだろう。
そこを受け流すことが出来ないのが自閉症スペクトラムの悲しい性である。
悲しいけどこれ人間なのよね。