激烈!豆腐メンタル | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

自分で言うのも何だが、確実にメンタルは豆腐かそれに似た何かである。
脆弱すぎて話にならない。一寸押せば崩れる。
開き直るとか逆襲するとか、そういう行動からも縁が遠い。
自分の性格の始点が発達障碍である、という最初からマイナスの場所にいるため、
開き直ったところで反撃(間違いなく倍返し)を食らうのがオチである。
マイナス思考とかを止めろとかポジティブに行こうとかよく言われるが、
じゃあ障碍とか欠損でもう気がついたらマイナスの位置に置き去りにされたようなのを、
どうやってプラスの位置まで運ぶというのですか、と言いたくなる。

プラスの位置に自分を持って行くには、プラスまで自分を移動させるだけの何かが必要である。
然るに症状が「コミュニケーションの障碍」とか「社会性の障碍」とか、
要するに、要しなくても人と普通に関わることに障碍が生まれているのである。
自分で自分をプラスの方に動かそうとしても、勝手にマイナスの方向に向かって進んでいく。
今までも色々手を尽くしたが、大体裏目に出て沈んでいった。
何が悪いのか今でもよくわからないこともある。
どうやったら豆腐メンタルにならないで済むことが出来るだろうか?(反語)
これで開き直ることが出来る人間は、他人の迷惑を鑑みない人間に過ぎないだろうと思う。
人と上手くいかないのを他人のせいにして責任転嫁出来るのであれば、とんだ恩知らずである。
自分のせいで人が傷ついているのに、それを相手のせいにして平然としていられるのは、
人格障碍的な意味でも問題があるとしか思われないだろう。

必然的に人を傷つける、存在するだけで周囲が迷惑を被る、妙に角張った物体、
ギザギザな何か、図体がでかいだけの車、ろくに動きもしないような老朽船、
もう色々な罵倒が心に勝手に刺さっていく。
訳がわからなくなるのは自分のせいである、という体験を嫌と言うほど繰り返されれば、
どうして心が脆くならないはずがあろうか。(反語)

傷つきやすい分、社会から適度に隔離されないと生きていけないのに、
世間はノーマリゼーションとか、地域への積極的な参加、とか宣う。
普通になるために他人にすさまじい努力を強いるぐらいなら、私は貝になりたい。
中身は豆腐だけれど貝になりたい。