作業所の向かいの席で人々が盛り上がっているのを見て、
一体なんの話で盛り上がっているのだろうと休憩がてら見に行ったら、
飲み会の計画を立てるのにインターネットで外食系のサイトを見ながらあれこれ話しているのを見て、
ああ、人種が違うんだなと思いました。
まず外に飲みに行くという時点であれこれ思い煩いたくもないし、
店に連絡を取るというか、電話すること自体を避けたいし、
酒を飲んだら演説を始める身分としては、次の日そのことで思い煩うのも嫌だし、
そもそも飲酒という習慣がない身分としては、酒を飲むことがそんなに楽しいことなのかと、
色々思い煩っているうちに、飲み会とか月一でいいじゃないか、
とか思うようになってからは、いや宴会ってそんなにしなければならないものなのですか、
とひしひしと感じてしまうのである。
下戸というほど下戸ではなく、しかし別に酒を飲まなくても生きていける人間としては、
毎週ビン・カンのごみを捨てに行くときに、焼酎のペットボトルやらビールの空き缶を見つけるたびに、
この人たちはいったい何を求めて生きているのか?などと、
大体訳の分からない表情をしながら訳の分からないことを思うのである。
無くても生きていけるでしょうに、と素で思える時点で、
多分自分と、酒を飲んであれこれしたい人間の間には、深い溝があるのではないかと、
そう思うのであります。
寧ろ下戸を自称して敢えて酒を避けた方がいい生活が送れるのではないかと、
たまに思ってしまうのであります。
その割に毎年つけている果実酒があるのは自己矛盾だと思いますが!
酒を飲むために酒を漬けているのではない人間もいるということなのだろうか(意味不明)
気の合う酒を飲むために、敢えて時間がたてば熟成する酒を選ぶ、
買ってそのままを飲まねばならぬビールとかとは訳が違うと思うのである(さらに意味不明)
ただあまりにも量が減らないので、飲み会とかでも自分のマイ果実酒を持ち込めればいいのに、
などと本当に意味不明なことを喚き散らしたくなる今日この頃。
これでも昔は数日に一回はビール缶を集団で開けるようなような生活をしていた時期もあるんですけどね。
各自の家でビールを用意して、集まる場所(近所の個人宅)を変えたり、
そのために料理を仕込んだりと結構今考えたらどうしてこんなことができたのだろう、
と思えるようなことも多々ございます。
そこからすれば、今の誰も家に来ないような生活スタイルは異常であるような気もしますが、
そもそも家に人を招くことが生活習慣にない人間にとっては、なかなかな苦行だったと思います。
そんなに酒を飲みたいという人の気が知れないと何度思っただろうか。
それよりも頭の中の回路を必死に動かした方が生産的じゃないですか
(何が生産的なのかはわかっていない)とも思ったりするのである。