発達障碍の遺伝的な話 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

精神疾患(主に統合失調症)には親とか兄弟とかに同じような傾向が見られるとか何とか言われているが、
では発達障碍には何もないのかと言えば、そうとも言い切れない。
発達障碍があるとないとは診断の有無によるものだが、
そうでない日常生活での症状の現れ具合はまことにファジーなもので、
本当にお前発達障碍なのとかしばらく気が付かれない場合もある。

ただ、別に精神疾患に限らず、肥満とか糖尿病とか、それから癌とか、
遺伝子レベルであれこれ引っかかりやすい傾向のある病気はあるので、
(数年前に親父に遺伝的な腎臓疾患が見つかったので、
 血がつながっている一族郎党は腎臓の検査に行く羽目になりました!)
やはり発達障碍に遺伝的要素が全くないとも言い切れないのが怖い。
何事にも絶対はないので。

そして自分の子供にそんな症状が出てみろ。自分が自分を言い聞かせられないというのに、
子供を言い聞かせられるとでもいうのか。言い聞かせようとしたら、どんな理不尽なことを言い出すか。
冗談は冗談で済まないし、約束と規律は決して曲げない。
当然ながらルール違反にはそれなりの制裁がなければならない。
だがそんなことをするのは子供にも自分にももれなく有害である。
しかし私には情念の何たるかが分からないので、もっと機械的にならざるを得ないだろう。
人の心が読めないというのは、それほどに恐ろしいことなのである。
子供に発達障碍の傾向が見つからなかったとしても、いずれ何かしら軽いものが見つかるだろうと、
そんな将来的なことにまで怯えて暮らさなければならないのか。

とすれば、そんな家庭など築かないほうがいい。
親は私を育児の時には手がかからなかった、というがその後学校に行くようになって、
奇行を繰り返し、ながら校則は順守するという訳の分からない生活を送っていた。
それでも一応ちゃんと学校は卒業したし、別に深刻な法に関わるようなことはしてない。
親の力とはまことに偉大だと思う。
だが自分が親になれば何をしでかすか、予測不能な行動に対して予測不能の行動で対処するようなものである。
全く見当がつかん。パートナーがいても意見の相違は避けられないだろう。
感性が異なるので。

というわけで純粋な意味で子供を育てるというのはあきらめるというか、
それ以前に「出来ない」部類に入る話だろうと思う。
感性が合うなら別に子供でなくとも、同好会みたいのがあればいいと思う。
それは別に子供も何もいらないからである。

ああ、一人であることのこの安楽さ。
子供とか友人とか家族とか面倒なものをいちいち意識しなくていい生活というのは楽なものです。