料理の作法 | 隠者の庵

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自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

前に「和食の御法度」とかいうような番組を見たときに、
正直、そのルールは誰も知らなければ、結局何もしないままでそのまま食べられるし、
何も考えなくていいんじゃないの?とか思ったのである。
食事の際に不要な音を立てないとか、マナーより過当に細かいことが多すぎると、
得てして食事行為そのものが苦痛になるのである。
一昔前にフランス料理の作法が何たらで通り過ぎた道だろうとは思うが。

要するにそのルールを意識する者が全くいなければ、
どうという問題にもならないのが多すぎる。
作法というのがうるさく思えるのは、それを意識していないからである。
意識していないどころか、あったところで特段日常に変化をもたらすとは思えない、
というものを特段意識して守ろうとは思わない。
本当にうるさい年配のやっかみ、と言われても仕方のないのである。
もし誰かうるさく言う人が誰もいなければ、皿に盛りつけられた配慮に対し、
「これはルールを守っている」とか気にする必要性すらないわけである。

煮物は冷めるから深めの器に、とか言われても自分は猫舌だから結局外に出さなければならないし、
マナーが過当に増えると誰かのその場の状況に必ずしもそぐわない、
特段守らなくても、むしろ守らない方が穏当に済んだのではないか、という気持ちになるのである。
ルールに過度に意識させられると、自分のように規則を規則通りに守るような傾向の人間だと、
本当に味どころの騒ぎではなくなる。
自分の一挙動が気になって仕方がない。

その辺、何も気にしないでいいラーメンとか非常に便利でいいですね。
マナーとか空気を持ち出すようなことのない料理は、本当に気楽である。
もしそこに「ラーメンの食べ方はこうだ!!」と高説をぶるような輩が現れれば、
率直に言って飯がまずくなる。

作法を気にしない気楽な高級料理というものがあれば、自分も食べに行きたい。
まず収入という絶壁を乗り越えなければいけませんが…