変人の狂詩曲 | 隠者の庵

隠者の庵

自閉症スペクトラム(広汎性発達障碍)当事者が気ままに壁打ちで文章を書き連ねます。
あと趣味についても適当に書き連ねます。何故か見た夢も記述します。

「変人」というのは、意図してなる変人と、意図しようもない変人の二種類に分類されると思う。
自分は後者だと思うのだが。
 
自分では行動の因果関係は全部繋がっているのだが、
他の人にすればそれは所々切れているというか、
まるで繋がっている様に見えない、というのである。
大体「どうしてそんな行動をするのか」と言われるが、
常識的な意味で言っても解ってもらえないし、
ものすごい遠大な説明をしなければならないので
その内考えるのを止めた。ついでに人と関わる機会をなくした。
人と関わる上でトラブルが起きるのだから、人と関わらなければいいのである。
と、言い続けて数年。やっぱり変人ぶりは依然として変わらない。変わりようがない。
基本的な人格に、常識的ではないものが必然的に混じっているのだから、
どう表現しても逸脱するものは逸脱してしまうのである。
隠そうとすると、かえって怪しくなる程度に。
ついでに「極めて」常識的な人とは関わり合いにならないようにしている。
必然的に、考えてもズレるものがあるのに、ズレないようにする方が難しい。
最初からある程度ズレた考えでないと、ズレた物を受け入れるのは難しい、
とズレている張本人が言ってみる。
 
とはいえ、自分のズレは法律的にズレるのではなく、日常感覚的にズレるものである。
法を破るとか何かに違反するのではなく、生活の態度そのものがズレているのである。
むしろ法律的には規則正しすぎて面白くないぐらいである。
そもそも法を破る度胸がないし、法を破ることに利益があるとも毛頭感じられない。
むしろ(?)法律的な正しさの中に「自分の拘り」が混じって、おかしな規則遵守、
おかしな正常のギリギリの所、が生じてくるのだと思う。
柔軟性がない結果、他人とどうすれていようが気にしないタイプの変人が誕生するのである。
無理しても隠しきれない、隠し通せないレベルで。
一時期異様に「普通」を意識した時期もあったが、やはり隠しきれるものではなかった。
必然的に滲み出る何かが、自分には解らない何かがあるのだろう。
しかしそれが本当に何なのか、自分で掴みようがないのだから、
何かが必然的に外れていくのである。
 
強いて言えば、毎日おもしろおかしく(自分の規則の中で)暮らしたいと思うだけなのだが、
それが実際には本当に変なのである。
隠しても隠しきれないなら、隠す意味ないじゃないか!と
変なことを書き捨てて去って行く。