音楽を聴く自由があれば、聞かない自由もあるべき筈なのに、
音楽が無いということに心が及ばないのは誠に遺憾である。
音の暴力というものは油断ならないもので、
油断すればぶん殴られる。
どんな音楽も万人に受け入れられるという前提が
既におかしいという事に気がつかないのは、一体幸せなのだろうか。
第一、万人に受け入れられる音楽がない、という前提に立てば、
一番納得するのは音楽を一切かけない事だと思うのだが、
ちょっと街中に出れば音がかかっていないことがない。
時々聴覚障碍者のための音をかき消すような音まで鳴るので、
本当に節度とは一体何なのか、と思う。
そのうち自然音は忘れ去られてしまうんじゃないの?
とか言うのはさすがに過言であるが、
人工音が必然である、という社会は
自分にとって違和感しか感じない。