世間では目を筆頭に顔のパーツにも言葉があるという。
自分にはそれが、単なる顔のパーツの動きにしか見えないのである。
せめて見えたとしても、喜怒哀楽程度の単純な分類が出来るだけで、
表面を理解しても裏面を理解することは中々難しい。
そういう裏表があることの滋味というか利点が中々理解しにくい自分にとって、
実のところ、裏表などない方がいいだろうに、とか思う時もある。
縁もゆかりもない人の葬式に行って、
一体それが故人のためになるのだろうか?
無理して表情を作っても、
本心から悲しいと思わなければどんな表情も虚しいだけである。
そういう無理した表情を取り繕わなければならない場面が多いほど、
何と人生で必要性の薄い時間を過ごしているのだろうか、
とか誰も思わないように見える表情なのは、
本当に不思議なものである。