バリアフリー、バリアフリーと呼ばれて久しいが、
実際の所どれだけ理念が実施されているのか、と問われると
疑問に思わざるを得ない。
公共交通機関など、公益性の高い施設は
移動による不便を無くすように早急に取り組んでいるところもあるが、
そんなに人が訪れるような所ではない場合、
そもそも車いすが通れないような道幅しかない場合、
壁や階段を掘削すればいい、などという野暮なことは言わないはずである。
ましてや他の仕事がある人に介助させるという
非合理なことがまかり通るわけではない。
「俺はここから動けないんだよ、コラ!」
と偉丈高に振る舞っていては進むべき事柄も進まず、
周囲からの反感は増すばかりである。
福祉サービスにあまり頼っていると、
いざ頼れなくなった時に、差別と叫んでばかりで
物事が全く進まない事態もありうる。
少なくとも、障碍者がその身分を盾に健常者を差別する時、
逆差別が生じている可能性は高い。
障碍者はたしかにハンディキャップを背負った存在ではあるが、
それ故に何事も特権化されるべきではない。
障碍は錦の御旗でも金科玉条でもない。
何事も当然であるべきことは何一つないのである。
一般人が「障碍者が高きにいるような感覚」を覚える時、
もう障碍者は誰かを見下しているのである。
…自分が言うのも何だけれど。
何処まで謙虚になれるかはわからないが、
せめて謙虚さと礼儀正しさは保持していたいものである。