生まれてからこの方少数派であることが嫌でも明らかになってからは、
もうこの際少数派になりきろうと決意を固めて過ごしている。
明らかに多数派とは真逆の道を通り過ぎようと意図しているので、
はっきりと這々の体で過ごしているのではあるが、
理解者がいないわけではないので、何とかなっている。
これで理解者がいなければ、死んだ方がまだ楽かもしれなかった、
と言ってしまった可能性もなきにしもあらず。
数が少なくとも、自分の思想信条について理解し、
変な奴だと例え思われても、
それを無理に矯正しないような人間関係が成立しているだけまだ有り難いと思う。
何より、私のような反集団的なことや反社会性的なことを、
忌憚もなく言ってしまう輩の話を聞き流せるだけでも、
それだけでも充分すぎるだろうと思う。
何せ生まれてこのかた、社会は違和感だらけなのである。
自分が絶対でないことは知っているが、それにしても曖昧なものが多すぎて
どうしようもなかったし、どうしようもできなかった。
素直に自分の思っていることを言えば、社会の多数派からは外れていく。
まるで外れることが自然であるかのように。
それを頭ごなしに否定するような人に囲まれなかったから、
今まで何とかやってこられたのかもしれない。
正直自分の凄まじく偏った価値観を正面から聴いて下さる人々には
頭が上がらない。それくらいのことを言っている自覚はある。
大勢の中にいる時はなるべく喋らない。
常識や協調性の前では自分の意思など風の前の塵と同じである。
勝手に道から外れてどうしようもなくなる。
「士は己を理解する者のために死ぬ」とかなんとかいう言葉があるが、
自分を理解しようとしない人の前でいくら喋ってもしょうがない。
せめて、自分を理解しようと、違うことを尊重して下さる人の前で
言いたいことを思いきり言いたいわけである。
そして自分を理解して下さる人の前では「中々面白い奴」で通っているわけである。
変な話に巻き込んでしまい、誠に申し訳ない…と思いつつも
違いを尊重する人の少なさに唖然とせざるを得ないのが現状なのである。