ダイアン・アーバスの写真~生き難い存在へのまなざし | 銀のマント


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ダイアン・アーバスの写真~生き難い存在へのまなざし



 ダイアン・アーバス(1923-1971)は自殺した女流カメラマンである。
 最初はヴォーグ誌やグラマー誌といったファッションなどの写真で活躍した。
 だがしだいにマイノリティの人々を被写体とするようになった。
 アーバスの写真の特徴はいうまでもなくその被写体の特異性にある。畸形の人々や障害者、倒錯者、麻薬中毒患者といったマイノリティの存在ばかりを取り上げている。アーバスがなぜそうした人々を撮るようになったのか、その理由は定かではない。アーバスのそうした一連の写真は最初、悪趣味だとか、覗き趣味だとかさんざん非難されたようだ。だがアーバスの写真にマイノリティの人々に対する覗き趣味や奇異の視線は感じられない。したがって悪趣味だという非難はあたらない。アーバスは淡々と被写体にカメラを向け、写真を撮っている。それだけだ。
 一般的にはアーバスのヒューマニズムが、畸形や倒錯者といったマイノリティの人々に対するシンパシーを持たせ、それでカメラを向けるようになったのだと言われている。それはもちろんあるだろう。だがアーバスの写真に安っぽいヒューマニズムとか被写体に対するセンチメンタルな思いいれは感じられない。アーバス自身、そういう演出はいっさいしていない。あくまでも淡々と彼らを撮っている。そこがアーバスたるゆえんなのだ。
 アーバスの被写体はみな社会から奇異の視線を向けられる人々ばかりだ。あるいは見てはいけないものであるかのように、そこに存在していないのだというように視線をはずされてしまう、そういう人たちだ。畸形や倒錯の人たちを存在しないかのごとく、社会から隠してしまおうという傾向はたしかにある。それなのにアーバスは、彼らを普通のポートレイトを撮るのと変わりなく正面から撮っている。
 彼らはみなカメラに視線を向けて写っている。その視線はいぶかしそうなものだったり、中毒患者特有の虚ろなものだったり、無邪気に楽しそうだったりと様々だ。だがみな視線は写しているアーバスに向けられ、その視線をアーバスはしっかりと受け止めている。アーバスの写真とは、つまり彼らの視線をしっかり正面から受け止め、また対象となる生き難い人々もアーバスの視線を受け止めるという、そういう視線の劇の結果生まれたものだった。