麻布で働く社長のBlog
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2019年総括

 

最近、ツイッターを始めたり(https://twitter.com/itokawa_isa)、コーポレートサイトをオウンドメディア風に作り変えようとしていたりとしている。そうなると、ブログのポジショニングがなんとも微妙になってきてしまう。

 

そんな事は、、、

 

今年の総括だけど、業績は悪くないし、新しい取り組みが始まってルーティン化するまでのサイクルも早くなってきている。ここからなんかのキッカケがあると3.40億まで一気に駆け上がれる感じがしてならない。組織内はそんな感じ。

 

最近、結構先のことを考える時間がある。今の1番の関心は労働人口の減少で、20年後には今よりも3割以上減るとの事。まぁ、減ろうが減るまいがIT業界へ与えられたパイのアイエスエイプランの占有率を上げればいいだけという見方もあるけど(笑)

 

それに、今後の産業に明るいイメージがあまりない風なことを金融機関の偉い人が嘆いていたし、自分もそう思うフシもあったりする。今をトキメクHR界隈も、客寄せパンダのような人事制度や価値を産まない事に課金するHR系の業者が出てきたりしている。

 

人は仕事を通して成長し、豊かな人生を送るという事に対して学術サイドも答えを見いだせない状態に見える。研究対象はこの成功体験の量的な研究にシフトしつつある気もする。

 

そうなると、パレートの言うところの上と下の乖離がガンガン進んで、より人が人の可能性にベットしない空気が醸成されて行くように思える。そんなの嫌だと思うけど今の企業を取り巻く環境の中で自分は生き残ろうとするパワーが必然とそっちにベクトルを取るのは仕方ないことのようにも思える。

 

バカな偽物は誰でも見抜けるけど、賢い偽物は騙される人も多いので多分に気をつけてほしい。特に、ウチの社員は・・・(笑)

 

愚痴っぽくなった??まぁ、社内の空気は悪くないけど、外部環境はイマイチ、そんな未来が確実に待っている気がする。これをいつまでも嘆いていても進まないので、その中で何かしらの優位性を作っていく必要があると思う。

 

これまでアイエスエイプランは、組織が強ければいい!という考えを貫いてきた。今でもそれはそんなに変わらず、丁寧にていねいに組織・リーダーシップにアプローチしてきた。この方針はこれからも変わらないけどもっと個人にフォーカスする事が重要な気がする。

 

先にも書いた、客寄せパンダ的な人事制度ももしかしたら必要でアイエスエイプランでも実行すると思う。でも本当に大切な事は、自身が仕事を通して成長し社会の役に立つ人になって行くということを組織として醸成していく事だと思っている。

 

話が少し飛ぶかもしれないが、その根源は「喉が渇く」という事だと思う。

 

これまでは、この喉の乾きを人事考課や給与、組織内のロールなんかで作っていけると思っていた。大抵の組織は予算と人事権の掛け合わせて役職・役割を定義するわけだし。でも、この考えは古い気がしてきた。

 

それは、なんで働くのか?という個人の問いに対する外部環境でしかないからだと思う。優先して考えるべき事は、その個人が何のために働くのか?を明らかにする・紐といていく事だと思う。

 

個人個人の目から見える景色を見ようとすると、自分の未来に対する期待とか、パートナーと描く未来とか、仕事をしている自分の変容とかそういうものが見えて来ると思う。それをスナップショットというか一種の絵とか物語のようにする。そうすると自律的にFit&Gapからの変化が始まる気がしてならない。問題は、その物語が描けないことなのかもしれない。

 

この考え方は少し前からあった。マスター論文の指導教官は経営はアートだ!と爆発的な事を行っていたのを思い出した。確かにその側面も十分にある。複雑系と言われる組織が自立・依存的に動き何らかのアウトプットを出していくという過程を想像しただけでもウワッとなるくらい全てのメカニズムを解明することが困難だと思う。

 

一度、講義の中でチームで考えたビジネスモデルを美大生に頼んで絵にしたことがある。まぁ分かりやすく分かりやすい絵ができてきたわけだが、、そういうことじゃなくて個人個人が、より具体的によりイメージを強く持てるような物語のようなものがかけるといい。

 

個人個人の頭の中を可視化しながら、それを醸成させていけるようなプラットフォームの必要機能を考える一年にしていこうと思った。

 

 

年末年始はこの辺をゆっくり考えて来ようと思う。

喉の渇き

 

IT会社の社長って言うと、社交的で毎晩仕事絡みの会食があって、少しギラギラしている感じがするけど、、もともと、内向的と言うか、あまり人と関わるのが苦手で・・(笑)

 

そんな感じなんだけど久しぶりに素敵なオトナと友達(?)なれた!人事制度の対談的な感じだったんだけど、日本を代表する人事の方と話をする機会を頂けた。

 

アイエスエイプランは経験学習により人は成長する、その成長とはより社会性の高い方向への貢献やリーダーシップを獲得していくべきであり、組織はそれをサポートする必要があるというのが基本的なコンセプトで組織をつくっている。

 

その中で、どうしても必要なのは「喉の渇き」だと考えている。渇きは色々ある。成長への渇きや責任を果たすことへの渇き・自分の人生に対する渇き・誰かへの貢献に対する渇きとか。組織はその乾きを間違った方向で潤さないようにビジョンやミッション、それをブレイクダウンした人事全般で方向性を定義し正当な潤し方をサポートする。これは何ら問題ないし、そもそも渇きがあれば殆の人は遠回りするかもしれないけど何らかの形で渇きを癒し、それを繰り返すことにより正当な癒やし方を学習していく。

 

困難な問題は、どうやって喉が渇かない社員のちからになるべきか?ということだと思う。これはきっと永久的に考える必要のあることだと思うけど、、(これも聞いてくればよかったと思う)

 

何の気なしに喉が渇かないって調べたら面白いページに辿り着いた。

のどが渇かない

 

このリンクは物理的に喉が渇かない人がコメントをしているサイトだけど色々と勉強になる。

気になるところを抜粋する。

 

>私の場合は「あんまり飲み物が飲めません」という感じです。でも、会社で飲む用に買う500mlのペットボトルは3日か4日持ちます(笑) 冷え性なのは関係あるのかなぁなんて自分で勝手に思い込んでます。
→喉が渇かないのではなく、飲めない。その理由は冷え性という身体的な個性

>むしろ食事前に少しでも水分をとると満腹感で食欲がなくなるので、飲まないようにしています。
→食事を美味しくという別の目的がある

>私は耳の下の唾液腺をちょっと押す事で、自由に唾液を出す事が出来るのですが、喉が渇いた時に無意識に押している事に最近気付き、これが原因か!?と思っていました。
→代替えの効く生体反応がある

>年を取ると、のどの渇きを感じる神経が鈍くなって、のどが渇かなくなるそうです。私も若い頃に比べて、のどが渇かなくなりました。
→年齢的な現象

>コップから直に飲むときにも、ガブっとは飲めず吸い込むような感じで空気をなるべく抜かないとダメなんです。
→飲み方が悪いという仮説

>水分量が少ないと、腎臓にたまったシュウ酸が排出されず、カルシウムと結合して石が出来てしまうらしいです。
→飲まないと困ること

>私も昔は1日にコップ1杯の水分も飲んでいなかったですが、意識して飲むように心がけて、今では普通に1日1.5リットル以上飲めるようになりましたよ。慣れれば意外と平気です。
→習慣によって乾きは変わる?

これをメタファーにして学習に対する喉の渇きにマージする。

 

1もともと学習が出来ないという身体的な理由がある。
2学習をする事が別の目的を果たすことを阻害する。
3学習の代わりになるものがある。
4年齢を重ねると学習を必要としなくなる。
5学習の方法が悪い。
6学習をしないと困ることがある。
7習慣によって学習ができるようになる。

 

1は・・・

2は、かなり考えられる気がする。本人は学習や成長の為の時間を別の何かに注いでいる可能性がある。もちろん、それ以上に大切なことはたくさんあると思う。まずはそれ以上に大切なことが何なのか?の分析が必要だろう。

3は、これは・・・ないと思いたい。けどこれはキャリアの作り方、例えば20代は専門性を30代は経験をみたいな大まかなキャリアの作り方をみんなが知れば今するべき学習が確定させるように思った。それと同時にキャリアの段階や年令・業界経験等の何らかの軸によって必要な学習を定義する必要もあるきがする。

4は・・・難しいな。少なくとも必要だけど腰は重くなるな。

5は、ちゃんとした学習方法を知る必要があるけど、学習している人が方法を論じるのでこれは見守ってよいかな。

6は、無理やり喉を乾かすってこと。評価制度とかへのリンクを考えればいい。そんなの誰でもすくに思いつくな。

7もすぐに思いつくけど、これが結構難しい。もはやカルチャーの世界なので一朝一夕にはならないから地道に。

 

この中で有力なのは(できることをやった上で)学習よりもその人にとって有益だと思われている(そう本人が考えていること)がなんなのか?を分析することが必要なのかと思う。その上で優先順位を上げることが合理的な事を本人に気づいてもらう事が重要だと思った。それぞれは、それぞれの行動が合理的だと思っているわけだし。

 

そして、それに向かい1歩踏み出せる勇気のようなものを、組織や空気が醸成できるようになって行く必要があるんだと思う。って、何も解決してない??気もするけど。。

 

ただ、それを待つ組織的な姿勢は、理詰めや組織の論理を押し付けるのではなく、それを承認し(組織からすると)ずれた合理性を許容する基本となるココロ見たいのが重要なのがわかったし、それって結構大切なんだなぁと思った。

 

 

 

 

 

優しい会社

仕事の結果は申し分ない。でも同僚からは嫌われている。

仕事はできない。でも、クライアントからは好かれている。

仕事は普通。でも、社内で誰もやりたがらない仕事を率先してやってくれる。

人の好き嫌いが激しい。でも好かれている人からは評判がいい。

突然の休みが多くてプロジェクトは困る。でも組織を明るくできる。

仕事でリーダーシップはない。でも遊びとなると楽しい。

 

仕事ができる人は、できない人に対して、はぁ?って思う。

クライアントから好かれている人は、嫌われている人に対して、はぁ?って思う。

同じように、自分ができていて、他の人ができていいないことを上手に理解できる人は少ない。

 

優しい会社はこの人たちをどう考えるべきなのか?

とは言っても株式会社は、クライアントへの貢献の対価を組織内に分配・再投資するといったメカニズムの元に成り立っている。つまり、どんな綺麗事を並べてもこのルールからは逃れることはできない。

 

なので、組織は個々人を含めて、「成長」していくべきという原則を持つしかない。

 

そうなると、営利企業というスタンスからみた「成長」をし強要しなければならないという事が上記とイコールになるのか?という問題になる。まぁ、0か1かの議論をすれば答えは明白だけど、きっとその二元論をベースに考えることに大した意味はないし、この辺を二元論でしか思考できないレベルの経営者は存在価値もない気がする。

 

きっと答えはこの時間軸をどう持つか?に尽きる気がする。対数曲線がいつになってもX軸に重ならないよに、これもどちらかの結論に近づきはするが明確な答えを出すに至らないんだと思う。この時間軸の長さがここで言う「優しさ」なんだと思う。そして、それを成長曲線に乗せるためにどれだけのコストを支払えるかが、その組織の強さなんだと思う。

 

で、最近考えるのは、そのキット待つであろう時間の規模感によって組織自体を分ける事が必要な気がしてきた。同じ組織の定義の所属意義はその時間軸が似通っているというのが条件になるような気がしている。人の成長するスピードは異なるのは分かっているけど、成長しようとするタイミングが訪れる時期も、また人それぞれなんだと思う。

 

だから、アイエスエイプランが作っていく空気感も、それをできるだけ許容できる、待てる空気感になっていかなくてはイケないと思う。その範囲をドンドン大きくしていけたらと思う。

 

これが、今自分の考えられる「優しい会社」の1つの指標なのかと思う。

 

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