12月19日に備えて
数字から
12=12部族
=真のイスラエル
19=救世主
右から数解釈
91=最強の親(神)
21=神は「2」にして「1」の「愛」
12月19日は真のイスラエル人=真の日本人を救う救世主が現れ、神の愛が示される。
真の救世主
昨日、新たに兄弟分が誕生し、三人でこの盃で『兄弟の契り』を交わしました。市民社会で「競争」に明け暮れるより、仁侠社会で「兄弟姉妹の家族」に入る事は絶対的におすすめです。『親分』は聖書の「父なる神」です。
牡丹です。右に弁の数が「9」と「10」の図柄が入っています。9+10=19です。救世主を伝える数字です。救世主は『牡丹』と閃きました。
牡丹の花言葉は救世主の姿を伝えています。救世主は「王」です。日本の歴史では『女王卑弥呼』です。そしてスメラミコト(天皇)です。救世主=女王=女性=天皇です。男性の天皇は「天NO」です。男性を天皇とする事は天に逆らう行為です。天皇は『神』です。肉眼で見る事は出来ません。目に見える者を天皇とする事も天に逆らう行為です。天に従順な人には12月19日は「救いの日」となり、天に逆らう人には「裁きの日」となるでしょう。
神は『光』です。救いは「光」として来ます。救世主の魂は、強きをくじき、弱きを助ける仁侠社会の「姐さん」です。
卑弥呼には、弟が居ました。卑弥呼はお姉さんです。推古天皇は自身の事を608年、隋への国書で「東の天皇(すめらみこと)、敬しんで、西の皇帝に申す」と書いています。推古様は女帝ではなく、天皇です。聖徳太子は607年の国書で「日出処の天子、日没する処の天子に書を致す、恙無きや」と書いています。天子=皇帝です。聖徳太子と推古天皇は別人物です。よって「天皇」と「皇帝」は別人物です。この事実を理解してないのが明治に始まる国体です。この間違った国体は破壊すべきです。
推古天皇は「母」です。女王卑弥呼は姉です。天皇は「再臨した女王」です。詳細は別途にします。卑弥呼=推古様です。実はまた推古様=皇極様です。皇極様の名は「宝皇女」です。「皇女(こうじょ)」は天皇の娘の事です。皇極様は天皇の娘ではありません。したがって宝皇女=たからのすめらみことです。
第33代推古天皇、35代皇極天皇そして37代斉明天皇の「753」が「天皇(すめらみこと)」です。他に目に見える形で実在した天皇は居ません。したがって初代の女帝は持統天皇です。
女王卑弥呼(姉)=天皇推古(母)=天皇皇極(母)=天皇斉明(母)は霊的には同一存在の現人神です。卑弥呼は天照大神様の「下生(げしょう)」です。その卑弥呼の再臨が天皇です。わたしはキリスト教の論理でその事を発見しました。救世主は姉の女王であり母の天皇ですから、仁侠社会では姉かつ母を意味する「姐さん」です。
艮金神
破壊と創造の神
我が家の敷地内にある艮方角の聖所です。ゴミ捨て場になっていた所です。一人で掃除をして復活させました。
ここに無かった石です。ある時、現れました。無かった時と現れた時の写真を撮っています。証拠に成ります。神霊界からこの現象界に現れた石と考えています。兄弟と二人は「現れる」という不思議な出来事をいくつか見ています。特に瀬田海海岸で、そこに無かった大きな石が現れ、数カ月してその石が今度は無くなり、さらに数カ月たって同一の石が以前現れた所とは別の近くに現れました。自然に出来た物とは思えない精巧なトンネルのような穴があるので同一の物と分かりました。神の意思によって無から有、有から無への変化が起きます。我々は神の意思を見るという体験をしています。
ニッケイの木の幹と葉に黄金の光が当たっている写真です。考えられるのは、あの現れた石からの光です。太陽の光ではありません。石は木に向かって右側にあります。光は右から来ている事は写真から明らかです。またこの木、「シオンニッケイ」とわたしが名付けた木だけに黄金の光が出たというのも不思議です。この木は卑弥呼とその弟が誕生した新田権現と二人が生活した喜念権現で奉納する霊木になっています。言い伝えでそうなっているようです。この木はまた、伊仙町で「23夜」のお祭りにも献じられる事になっています。兄さん=23と巫女=35の霊木と考えられます。23+35=58です。583=ご破算の「58」と思います。ご破算は艮金神の片面の業です。
アトラス
アトラスは「しんこう」と閃き、そんな句があるか検索して見ました。ありました。その意は「『鬼神』の製作。霊妙な製作。またその製作品(物)」です。『鬼神』で卑弥呼の事が想起されました。
「卑弥呼は『鬼道』につかえ、衆を惑わす」と魏志倭人伝にあります。
原文史料です。
卑弥呼が仕えていた鬼道は「鬼神の道」と考え、鬼神の定義に当たってみました。「死者の霊魂と天地の神霊」とのことです。
また「荒々しく恐ろしい鬼」との説明です。
鬼神には「邪道」の行いが無いとの事です。ということは鬼神は「善なる神」となります。わたしは鬼神は聖書の「父なる神」と同じであると考えました。
「鬼道」には「鬼神に仕える道」とは異なる意味の鬼道があるという事を初めて知りました。仏教の世界の鬼道です。
仏教の「鬼道」の意には「妖術(あやしい技)」があり、「卑弥呼は鬼道に仕え衆を惑わす」の「鬼道」の解釈に学者たちは、この仏教での意を採用しています。とんでもない間違いです。卑弥呼は3世紀、日本への仏教の伝来は6世紀の事です。3世紀の日本(厳密には「倭」)の歴史の解釈に、仏教の概念を使うとは、とんでもない・・です。多くの国民は間違った学者に盲目的に従って、卑弥呼を妖しい女性にイメージしているはずです。
女王卑弥呼は鬼のように厳しい善なる神に仕えていた結果、衆人はその『超能力』に惑わされていたというのが真実です。イエスキリストも鬼神の道に仕えていた結果、衆人を惑わす業を行っていました。卑弥呼=イエスキリストです。
卑弥呼とアトラス
卑弥呼は鬼の神の道、鬼道に仕え、衆を惑わしていました。
現在、鬼神の製造物アトラスは、鬼神の『きどう』に従い、衆を惑わしています。
アトラスが7月1日に発見されたという事実に「疑問」があると「ミチオ カク」さんが言っていました。もっと「前に」発見されていてもよいのではとの思いです。12月19日が7月1日から数えて「171目」になるために、・・・・・・アトラスは7月1日に発見されたのではなく、その日に神霊界から現れた、それが発見されたのでは?アトラスは『鬼神の計画』に従って現れたと考えられます。「鬼神の神」は日本で表現された聖書の「父なる神」と考えられます。父なる神の製造物は人類にとっては「分からない」が「結」になると思います。
鬼神の計画
西洋文明が武力で日本に迫って来ていた1860年(桜田門外の変が起きた年)に天皇(すめらみこと)様は宇宙に旅立った。その場所は
その緯度経度から「朝倉市」と直感しました。全ての数字がスメラミコトを伝えています。
そこに「天子の森」がありました。天子(中大兄皇子)は母なる神「天皇」の旅立ちを見送ります。中大兄皇子と中臣鎌足はその当時の「天皇皇極=斉明様」をお見送りしています。ここは皇極=斉明天皇崩御の地です。「崩御」=「神上り」です。天皇が天に昇られた聖地です。昇られた所に「帰る」のが自然です。
「Y」の形に見える木が「昇っている=宇宙への旅立ち」の感じを伝えています。面白い神示です。日本の歴史から『アトラスの神話』ができます。
「日本」という国号は天智天皇が始めたようです。12月19日ここ、天子の森で、アトラスに関わる何かが起きる事が考えられます。
万世一系の天子
893侠客天子
皇帝陛下ダビデ



















