『天皇』称号の由来は奄国 | is6689のブログ

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  「天皇」の称号の由来

 一般に天皇の称号の由来について、以下の三つの説があるとされています。ネットで確認できます。

 ①古代中国で北極星を意味し道教にも採り入れられた『天皇大帝(てんおうだいてい)』、あるいは『扶桑大帝東皇父(ふそうたいていとうこうふ)』から採った。

 ②唐の高宗(649~683年在位)は皇帝ではなく道教由来の『天皇』と称したことがあり、これが日本に移入された。

 ③5世紀頃に対外的に『可畏天王』『貴国天王』あるいは単に『天王』と称していたものが、推古朝または天武朝に『天皇』とされた。


   三つの説?

 上の内容から天皇の称号の由来に「三つの説」があると言うのは変です。

 ①の内容が論理的にはっきりしません。『扶桑大帝東皇父』が道教にあるのか無いのか、あるとするならば、天皇の称号は『道教思想』由来ということになります。無いならば、①は二つに分けるべきです。道教思想と扶桑国の大帝由来と。扶桑国は中国の伝説で東海にあるとされている国です。

 ②の説は天皇の称号は『道教由来』との前提で、それを最初に使ったのは唐の高宗と言っているにすぎません。

 ③は、日本でいつから天皇の称号を使い始めたかについてい説いているにすぎません。天皇の称号の由来については説いていません。

 わたしは不思議に思います。何でこんなにも、非論理的なのかと。頭の整理能力はどうなっているのかと。

 天皇の称号の由来については、今の所、道教思想かそれとも東海の扶桑国の大帝由来なのか、まずこう問いを立てるのが正しいと思いますが、どうでしょうか。


    扶桑国

 広辞苑に「扶桑」について、①「中国で東海の日の出る所にあるという神木。またその地の称。」、②「ブッソウゲの別称。」、③「中国の東方にあるという国。日本国の異称。」とあります。

 ネットでは、中国の伝説で東方の果てにある巨木、その木の生えている土地を扶桑国という。後世、扶桑国は日本の異称となる、と説かれています。さらに詳しく、のち『梁書』が出て以降は東海上に実在する島国と考えられるようになったとあります。

 わたしのブログを読んでいる方は、上の扶桑国についての記述から奄美王国、中国夏王朝時代、すでに山東半島を領地としていた偉大な奄国を想起するでしょう。扶桑国=奄国です。奄=阿麻=高天原の「天(あま)」と明らかにしています。徳之島の名は、その昔「阿麻彌島」、徳之島は阿麻国=奄国=高天原の所在地、と明らかにしています。徳之島=扶桑国です。高天原は伊仙町上面縄の北にある先天道を中心とした広大な平野です。天地開闢のとき、造化三神の現れた高天原の聖地は、ゼロ磁場の先天道と今年3月、発見されました。この真実から扶桑国は日本の異称と納得できます。

 道教思想の本であり、山東省の発祥とされている神仙思想は、・・・・・・・山東省は夏王朝時代から、いやそれよりも先の可能性もありますが、殷王朝終焉の時まで奄国の領地であったという事実から、徳之島、より限定して徳之島伊仙町が本家本元となります。道教思想の大本は扶桑国徳之島、長寿世界一を二人も輩出した伊仙町です。

      結論

 「天皇」の称号の由来は、道教思想+扶桑国大帝東皇父=神仙思想の扶桑国の大帝=奄の君です。わたしは奄国を発見して以来、天皇は先天道の奄の君の祭祀を継承していると言ってきました。それは天皇の称号の由来は奄の君ということと判明しました。

 伊仙の「伊」と伊勢神宮の「伊」はつながっています。ある方は伊勢神宮の神威と先天道の神威とを比較して、先天道が「上」と話しています。その先天道を復活させたのは、真実の天皇です。その神威の凄さ、畏れ多きを証明したのは草薙剣、こと神剣天叢雲剣です。

 わたしは以前、天皇の称号は真実の歴史を隠すためと思っていましたが、実は真実の歴史を伝えるヒントでした。日本は神の国と頷きます。

    扶桑の国の神木

 巨木を巨大な気根の木と考えたら、天城町三京山の神木樫の木、ノアの箱舟の材木です。扶桑の花と考えたら、先天道から徳之島町への道路で、11月頃、目に美しき花がその候補です。その花の名は、・・・・・・・・「ふそう」と思いますが、自信がありません。調べておきます。


万世一系の天皇

イスラエルダビデ大王

平安天皇ヨシュア勝信貴