ミンダナオ島のJOYE SUSON君の妹から、フェースブックでメッセージが来ました!突然で驚きましたが、そう言えばFBの友達承認をしたなと・・
彼女は、今ADRAフィリピンで、働いているとのこと!支援が必要な子ども達のために活動しているそうです。
彼女によると、私の消息を求め、ADRAの日本支部のスタッフ達にも私のことを聞いたそうなんですが、当然のことながら、彼らは、私のことは知らないでしょうから、消息は分からず。
で、FB経由で私に辿り着いた?らしいのです。
彼女の兄のJOEY君とは、私が1995年2月に、ADRAのプロジェクトで、ミンダナオ島最南東端のジェネラルサントス市近辺に行った時、現地で知り合い、翌96年3月に、再度の支援活動のため、ミンダナオを再訪した時にも、私ひとりで、わざわざジェネラルサントスまで行き、彼にも再会できました。そして、彼も活動に参加したいと望んだので、プロジェクト現場の、島北部海岸のカガヤン・デ・オロ市まで、350キロほどの道のりを、ふたりでバスやジプニーを乗り継いで向かったのも懐かしい思い出(^^)
(1回めの訪問のさわりの記事です https://ameblo.jp/is1977/entry-11991020091.html)
ミンダナオは、面積が約10万平方キロで、北海道よりひと回り大きい島です。ただでさえ大きい島を、南国特有の暑さの中、満員のバスに揺られて、南から北まで縦断するのは、なかなか大変でした。第一道が悪い!幹線の国道も、多くは舗装もされていませんし、そこにスコールでも降ると、泥濘になってしまい、バスが走るにも難渋します。またバスのタイヤが、当然のようにパンクしたりします(苦笑)。そうなると、乗客を降ろして、乗務員がタイヤ交換をしなければならず、それにまた時間がかかって・・
いやはや、やはり日本の常識では考えられない事が起こるのです。疲れました~。でも貴重な体験でした。今となっては、凄く懐かしい~。その旅で、上記のように一緒したのが、JOEY君だったのです。
同時はまだ二十歳そこそこの青年だったJOEY君も、考えれてみればもう中年^^ 初めて会ってから、もう23年余り経ちますから。私も歳をとるはず。確かまだ子供だった、彼の妹も、今はADRAで良き働きをしているようです。何より!
彼女によると、お兄さんのJOEY君も元気!とのこと。
この世界では、あるいはもう会う機会はないかもしれませんが、主が再び来られる時には、願わくは共に救われ、喜びの再会を果たしたいものです!無論、顔と顔を合わせて、主のみ顔を直接仰ぎ見る幸いに与りたいものです(^0^)
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話し変わって・・
お父さんが、ガンによる、胃の全摘手術を受けた、韓国・ソウルのヨンソクさんと、昨夜電話で話しました。
https://ameblo.jp/is1977/entry-12367112866.html
4月3日の手術から、もう2ヶ月近く。心配で日々祈っていますが、昨夜の彼の話しによれば、お父さんは退院、帰宅され、自宅療養中とのこと。
胃が無くなったため、食事は1日6回に分けて、少量づつ。それもあってか、やはりだいぶ痩せられたそうですが、それでも今の所は、少しづつですが、回復されているよう!
それを聞いて、私も取り敢えず安心しました。ぜひ順調な回復を!私も祈り続けます。
主が共にいて下さって、願わくは、ヨンソクさんご一家の心配・心労を取り去り、お父さん共々、平安な歩みを続けられるよう、日々恵みを与えて下さるよう・・。ご一家を、あなたの御許に引き寄せて下さい!
安息日に向け、皆さまも主にあって、良き1週間を!それではまた。。(^O^)7