昨日は、北九州文化懇話会に出席し、後輩の辻利之さんの講話を聞いてきた。辻利茶舗と言えば京都が発祥の地で名門中の名門である。彼はその末裔だ。しかしながら近年ではお茶を飲む習慣が無くなってきてどこも苦労している。そこで彼は、いろんな試行錯誤を重ねお茶文化の普及に心血を注いできた。お茶のソフトクリームやソーダーなど若者に愛される



嗜好品を開発。今や台湾や上海にも出店し世界へ乗り出している。そんな忙しい中、「小倉の街、特に京町、魚町を中心とした所謂「マチ」を元気づけたい。昔のあの活気を取り戻したい」とまちづくりにも奔走。しかし、商店街の組合組織率は50%を切っていて、如何に現実は厳しいか。地元の商店主たちの「マチ」を愛する心が薄れているという現実にぶち当たる。・・・3038

 


昨日の午前中は八幡の兄貴の所に「相続の相談がある」と言うことで行ってきた。東京から親類の人が来ていて「私のかわいい弟です。何でも頼りにしているんです」と紹介された。高齢の母親が認知症で入院。面倒見ていた娘も高齢でアルツハイマーになっている。その孫もついに困って相談に来たという。母親とは縁が薄く、「お前なんか生むんじゃなかった」と



言われて育ち、家を飛び出した母。父と二人祖母のうちへ。父は再婚し、嫁姑の折り合いが悪く父母は家を出た。ひとり祖母に育てられる。苦労の末、良き夫と出会い、良き子供にも恵まれる。しかし、捨てていったはずの母親は今になって「お前を生んでいて良かった」という。彼女のすごいところは、「過去は過去、前に進むしかありません。今日を、今を大切に生きています」と笑顔で話される姿に触れ魂が震えた。人間って本当に素晴らしい・・・

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 昨日は、吉川さんのパパさん食堂に針尾さんと昼食の約束をしていたら、彼が田中昇三さんと一緒だったので三人で一金500縁也のてんこ盛りのおいしい定食を頂いた。お店には、七夕さんの竹が据えられていて、いろんな願い事が吊されていた。吉川ママが「ハイ、皆さんもしっかり書いて吊してね」のひと声に、それぞれ書いて吊していた。私は、「真宝の水



素水がたくさんのお客様に行き渡り、皆さんが健康と幸せになりましてありがとうございます」。裏には、「幸運にも3億円の宝くじが当たりまして、100名の塾生に300万円ずつの事業資金を提供でき、北九州のこの地より力強いエネルギー、パワーが巻き起こり地域活性の原動力となれてありがとうございます」と書いて吊した。必ずなる、絶対にそうなると強く信念するこ



とが大事だ。そして、日々言い続ける。きっといつか機が熟したときにそうなっているはずだ。食事の後、田中さんが例の竹バイオリンを演奏してくれ最高の食後のデザートとなった。カッチーニのアベマリア、そして蛍の光。地味ながら魂を揺さぶる竹独特の音色に、パパさんもママさんも、スタッフの皆さんもうっとり聞き惚れていた。竹の持つ偉大なる生命力



が音色と共に心臓に伝わってくる。彼は物理学に詳しく音楽のリズムを波動係数で表すなど相当な人物だ。この世はすべて波動で成り立っている。動物も植物も鉱物も、勿論光も音も電波も。そして私たち人間も波動の塊だ。すべてが波動(振動)によって伝播されていく。まさに音楽はその波動を人間のこころへ直に伝える神様たの最高の贈り物だ。ついでに27日のうたごえ36回記念のために宝くじ25枚買った。(参加者全員にプレゼント)


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 日曜日の夕方、Café昭和の時代にひょっこりめだかの楽幸の塾生の尾崎さんが「コーヒーいいですか?」とやってきた。骨格調整院かいふく堂の仕事が忙しくて、ここのところ楽習快にも顔を出していなかったので、とても嬉しかった。「何でこの仕事を選んだのか」など1時間半ほどいろんな話に花が咲いたが、中でも一番嬉しかったことは、「私も自宅のト



イレ磨きと玄関周りの掃除をやっています」である。こんな嬉しいことはない。そう言えば畑山さんも塾に通い出して早速始めたことは、公園のゴミ拾いで、毎日続けているという。いくら良いことを学んでも、学びっぱなしでは何にもならない。何か一つでも即実践してみる。そして続けてみる。そこからしか得るものは生まれてこないと思う。彼は、お客様




間のうちに伺ったとき(出張治療)には、必ず仏壇の前に座って手を合わすそうだ。そこのお家のご先祖様たちはきっと喜んで下さるだろう。また、実家や親類の家に行ったときには素手でトイレ磨きをして帰ってくる。コンビニなどでも汚れていたらちゃんときれいにして帰る。「だんだん癖になってきました」という。習慣化すれば何ともない。むしろしなけ



ればなんだかこころが落ち着かない。したからと言って一円の得になる訳じゃない。しかし、確実に徳を積むことになる。「いざ鎌倉」と言うときには必ずこの徳の貯金が助けてくれる。私も夜中に何回も「ああ、これでお陀仏か・・」と唸ったことがある。しかし未だにこうして生かされ生きている。彼の業界も極めて競争の激しい仕事である。この徳積みが必ずやものを言うときが来るから、信念を持って続けて欲しいと思う。・・・・


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 Café昭和の時代の前に倉庫を借りているが、ドアの横にちっちゃな、ちっちゃなピンク色のかわいい花が咲いている。家主さんに聞くと「紫式部」という。へぇ~、初めて聞いたが、名前と違ってえらく目立たない花である。それにしても日本人は洒落た名前を付けるもんだね。感性がそれだけ豊だったんだろうね。 昨日のつづき・・・輪廻転生という


    


ように、生命は永遠に繋がっていて、この世はほんの仮の住まいである。しかし、ほんの短い期間だけどもっとも厳しい修行の場でもある。最近では、アメリカでも「どうもそうらしい・・」と、この輪廻転生を科学の世界から認めつつある。死ぬ前の体重と死の直後の体重を測定すると明らかに平均21グラム減少している。この21グラムが「魂の重さ」だろうと


    


言うことになってきているようだ。日本では昔から分かっていたが、立証主義のアメリカでも化学や物理学の世界からそのようなことを認めるようになってきた。日本では、昔から「五体満足」という言葉がある。では五体とはなんぞや??。頭、胴体、両手、両足。そしてで計五体。しかし、魂が抜けた瞬間人間は死体となる。死体とは四体。要するに「


    

が抜けた体である。魂が抜けた瞬間から人間は腐り出す。生きている(魂がある)間は絶対に腐らない。これもふしぎなる宇宙の仕組みであろうか? ピース小堀さんは、「僕たちはみんな違った遺伝子を持っている。神様と約束し、一人に一つずつ何らかの才能をもらって、この地球でその才能を活かすために僕たちは生きているのです。天からもらった才能を“天才”という。それを人のために使うことが“命を使う”と書いて“使命”なのです」と。・・・




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 福島大元教授の飯田文彦さん臨死体験を経験されていて、北九州でも講演会があり著書も出ているが、もう一人の自分から受けた質問の一つに「十分に使命を生きたか?」というものだったとピース小堀さんは言っている。こんな話があるそうだ。難病を抱えた女の子が、10才で命を閉じてしまうと宣告された。両親は子供がかわいそうでずっと泣きながら、「


めんね、ごめんね」といつも謝っていた。そんなある日、その女の子がこんな話をした。「お父さん、お母さん、私は神様と一つ約束をして生まれてきたの。生まれる前、みんなの前に並んで一人に一つずつ才能をもらうの。私に順番が回ってきたとき、何をもらおうかなと考えたの・・・」彼女はそのとき、神様の後ろにある一つの黒い箱を見つけた。そこには「重い病気



の才能」と書いてあった。彼女は神様に聞いた。「あれは何ですか?」。神様は、「あれはね、強いこころのある人にしかあげられない重い病気の箱だよ。でもね、いつかは誰かにもらってもらわないといけない才能なんだ」と。それを聞いた彼女は、「私には強い才能があるから、その重い病気の箱を下さい」と、神様に頼んだ。その話をした後、彼女は両親に向かって


こういった。「お父さん、お母さん、私はこの重い病気を選んでこの地球に生まれてきたの。この病気が私の才能なの。だから悲しまないでね」と言ったそうだ。すごいですね、この女の子。 「生まれる」という本がある。映画にもなったが、多くの子供たちに生まれる前の様子を聞き取り調査して、それをまとめた本であるが、一様に誰でも生まれるときは、自らの意志で自分の両親、特に母親を選んで生まれてくるそうだ。・・・つづく

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 あった、あった。私の記憶なんていい加減なものだ。昨日のブログに30数年前と書いたが、具志堅用高さんとの写真は平成6年の新年互礼会のものだった。めだかの楽幸から帰ったら家内がツーショットの写真を探し出してくれていて21年前、45歳の時だ。彼が38歳。

昨日のめだかの楽幸のテーマは、「月二回は負担になるのでは?」の意見交換で、「決まった


ものとして受け止めている。出席できなかった人は“運が悪かった”と云うことでいいんじゃないですか。出てきたら必ず何かの発見や感動があり、絶対意義があると思うので、このままでいいのでは・・・」と言うことで一件落着。「今日の本題」はふしぎ体験について。

熊本のメロンを差し入れしてくれた球磨さんが以前、「小倉で朴保(パクポウ)さんと尺八の



山崎コウザンさんとのライブの録画撮りをして、翌日には札幌に飛んで、野外で仕事をしていると、“どこかで聞いた声だなあ??”と思って、ふと目をやると朴保さんが歌っていてビックリしました」。そんなことってあるんですかね。そして、私も朴保さんのライブを聴いてCDを持っているから、それを見せたら球磨さんビックリ。幽霊を3回見た人。UFや流星など




を二人も見たという。きれいな女性の夢を見た翌朝、ある画廊から電話が入り「いい女性の絵が入りました」と言われ見に行くと、夢に出てきた女性そのものだったので買って飾っているとか。「脳出血で一週間寝たきりの中で、もう一人の自分が出てきて対話している自分がいる。もう一人の自分の答えが以後の生活に大きく役立っている」など。ふしぎ、ふしぎ!

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 家内が新聞を見て、「あら、具志堅さんが国際ボクシングの殿堂入りをしたそうよ」と見せてくれた。「確か写真があったよね」「ある、ある」と言って後から探し出してきてくれた。もう30数年前の話だ。自見庄三郎元郵政大臣の政経セミナーに具志堅用高さんが呼ばれお話をされたことがあるが、その後に記念写真を撮ってもらった。もう一枚二人だけの写真も




あるはずなのだが・・・世界フライ級王座、13連続防衛は日本記録である。23才で突然車の事故で亡くなった大場政夫さんと並んで日本人で45番目となる栄えある表彰だ。

彼の話を伺っていて、「この人は大和魂を持った人だ」と感じたことを思い出した。

ところで、BSを録画していた「二百三高地」を3日かけて観たが、日露戦争の時代はまだ



まだ大和魂がしっかり根付いていたように映画を観てもよく分かる。哲人中村天風先生もおっしゃっていたが、「日露戦争で辛勝したことが原因で、日本の武士道、大和魂が薄らいでいった。大東亜戦争の軍隊は酷いものだった。そこが敗戦の元凶だ」と厳しくたしなめておられる。あおい輝彦が名演技をしているが、乃木大将に向かって、「現場の兵卒には軍律も何もない。ただ殺すか殺されるかだけだ。上層部にはそんなことが分かるのか」とくってかか




るシーンは、部下を守るための覚悟の発言だ。自然と出た大和魂の発露であろう。凄惨な肉弾戦、殺し合いの果てにどれだけ善良なる市民たちが「赤紙」一枚で貴重なる命を犠牲にしていったか・・小学校の先生だったあおいは最後に「美しい日本」「美しいロシア」と黒板に書き残していったが、戦争の悲惨さか、現地ではロシア人を憎み殺戮のるつぼの中で自らも命を落としていった。戦争とはこう言うものだ。総理大臣閣下殿ご賢察あれ・・・



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 昨日、宮崎さんが採り立ての野菜を持ってきてくれた。ゴボウ、見事に巻いたキャベツ、サラダ菜、勿論みんな完全無農薬。サラダ菜は早速ドレッシングをかけて頂いた。ちょっぴり苦味があるが新鮮でおいしかった。ありがたいですね。1月に4度目の肝臓がんの手術をして、定期検診で東大病院まで行かれ「異常なし!」のお墨付きを。どれほど安心された



ことだろう。オカリナ演奏4カ所くらいの施設に行かれたという。4名のグループで「ミックスジュース」と言う名前とか。農作業をし、オカリナをし、そして遙々うたごえにも欠かさず出てきて下さる、まさにCafe昭和の時代の育ての親だ。ありがたきご縁に感謝あるのみです。ところで、昨日の午前中、一心にパソコンを打っていると、昔町内の市場で野



菜屋をしていたMさんの息子I君がやって来た。甲子園を一歩手前で逃した実に野球の上手な子だったが、既に50は越しているだろう。何の話からか、「うちの親父が、天皇陛下がペリリュー島に行かれた特集で、テレビを見ながらNHKのインタビューを受けていたんだって。親父は志願兵で飛行機乗りになるつもりだったんですけど、背が低くて正規兵になってあちこ



ち移動したそうで、ペリリュー島にも行っていたそうなんですよね」。・・・「ええ、何だって。つい最近そのことをブログに書いたばかりよ。ホレご覧」と、プリントして2枚渡した。「お父さん、本当にが良かったんだね。恐らく移動後に、あの前代未聞の大激戦になって全滅したんだからね」。人生は本当に「運・うん」によって生かされ生きている。88才になられるという。最後の少年志願兵だ。終戦の年が18才だから。酷い戦争をしたもんだよねこの国は。

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「健康が当たり前」だと思っていたり、「親がいて当たり前」「友だちがいて当たり前」「お客さんがいて当たり前」と思っているとだんだん感謝がなくなり、相手が離れていったりする。自分たちの今の状況が決して当たり前ではないということを忘れずに、感謝の気持ちを持っていただきたい。東北のあの大震災と原発事故。ニュースでもほとんど取り上げられなくなって日



ごとに風化していくのだろうが、あの大災害を誰が想像し得ただろうか?「まさか自分たちに限って・・・」という思いは誰の心にもあるはずだ。しかし、災難というものは「忘れた頃にやってくる」というように、いつどこで遭遇するか??「神のみぞ知る」である。だから、日頃、この今日、この今に感謝する。今生かされ生きていることにしっかり感謝する生き方が大




ではないかと思う。あの大震災で打ちひしがれていた人々の心を慰め立ち直らせた一人の偉大なる人物がいる。天皇皇后両陛下である。両陛下は、先ず東北に向かって手を合わせ、深々と頭を下げられました。そして、震災者の住まわれているところを訪問されました。陛下は、被災者の人たちの前に立つと、一人ひとりの顔をゆっくり見つめ、一言、こう言われました。「み




なさん、生きていてくれてありがとう」。その言葉を聞いた被災者の人たちは涙が止まらなくなりました。 そのとき、ようやく「なぜ自分たちだけが??」という自責の苦しみから解放され、心の底から「生きていて良かった」と思えたのだと思います。 天皇のこの慈悲深きお言葉は、どんな名文句よりも千金に値する力を持っている。あの痛ましい事故が起きたとき、天皇はこうも言われたという。「私のいのりがたりなかった」と。本当にすごいお方だ。

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 「ハイ、こればーば。これじーじ」と、2ッのアメを孫の詩はんがやっと泣きやみ家内に手渡したそうだ。緑色のが私のだと。昨日ダンスの発表会があって家内を会場まで送迎した。私は、今やりかけている作業が詰まっているのでその間仕事を。迎えに行って車の中で、「今日の詩ちゃん、可哀相だったよ」と。先生が一人ずつ自己紹介するため名前を呼び出し、壇




上に出てお辞儀をする。所がいつまで経っても孫の名前が呼ばれず、先生の挨拶が始まったところへ孫がのこのこと。しかもシクシク涙を拭き拭き出てきた。先生のお話中ずっと下を向いたまましゃくり上げていた。先生は忘れていたことに気付いて謝っていたそうだが、悲しみはそう簡単には消えない。ところが、隣のちっちゃな女の子が一所懸命慰め



ているという。かわいいね。まだ4才だという。片方の隣の子は大きいがそんな気配がない。こんなちっちゃな子でも心根の優しい心を持っている。終わって戻ってきた途端またしゃくり上げて泣き出した。家内はずっと気が静まるまで抱きしめてあげていたとい

う。よかった、よかった。抱きしめてあげるのが一番だ。やっと落ち着いて、先の「ハイ、



これじーじ」。どんなに不安で悲しかっただろう。でもよく乗り越えた。よい経験だ。夜娘からメール。「また来年も出ると言っているよ」とのこと。そうだ、そうだ、大丈夫。みんな良き経験だ。  12日のつづき・・・ピース小堀さんは、またこんなことも書いてある。「苦難や災難に感謝すること」と。災難や苦難は僕たちの心を原点に戻してくれます。・・・・

121314日のありがとうございます130002200016100回。ギャラリーCafé昭和の時代