答弁書と疼痛 の続きです。

 

2021年10月上旬、市民病院に取材を行った記者さんから「医療過誤を公表しなかったのは、患者側が公表を望まなかったためとの回答がありました」と教えていただきました。その上で、2つのご質問に回答いたしました。

 

 

 病院側から、医療過誤をマスコミ公表することについての十分な話し合いはありましたか?

 病院側から、母の医療過誤の公表について質問されたことは一度もなく、話し合いはありませんでした。

 

 

 十分な話し合いがあったとして、「公表しないでほしい」と病院に要望されましたか?

 要望したことはありません。

 

 

母の医療事故から1年以上が経過した2021年3月2日、市民病院の玄関前で、〇〇院長に以下のようにお伝えしました。

「公務員という理由だけでどうしても〇〇先生(過失医)に対しての懲戒処分が難しい場合は医療過誤や職務怠慢を公表してください。それも無理だと仰るなら自分自身で公表することも考えます。
もし、〇〇先生(過失医)の手術禁止が解かれるようなことがあれば警察へ相談に行きます。」

 

 

以下は質問に対する回答と併せて記者さんへお送りしたメールの一部です。

「病院が医療過誤に認定したのは1件とのことですが、私がどうしても許せず、裁判の中で公にしたいと思ったきっかけになったものがあります。訴状でも触れていますが、頚髄神経損傷によって四肢麻痺になってしまった方の医療事故です。

※プライバシーに関わる内容のため省かせていただきます

その後、この患者様がどうなったのかはわかりません。兎に角、母の医療過誤以外にも〇〇医師には問題が多く、退職したからといって全てなかったことにしようとしている赤穂市民病院もおかしいと思っています。」

 

私は正義感が強いわけでもなんでもありませんが、この患者様と母にはいくつかの共通点があり、数名の医療従事者からお聞きした内容が余りにも酷く、何とかご存命中に補償してあげてほしいという思いがありました。しかし、病院が医療過誤を認めることはなく、私はこの患者様がお亡くなりになったことを昨年知りました。面識はありませんでしたが、お亡くなりになったことを知った瞬間、母のことと重なって涙が溢れそうになるのを必死で我慢しました。無念でなりません。

 

--------------------------------------

 

《関連記事》

 

 

医療過誤の経緯に関する記事はこちら→ 医療過誤

 

にほんブログ村 病気ブログ 医療事故・医療訴訟へ