5月25日に高校の同期会があったという記事を先日書かせていただきました。

 

高校時代3年間同じクラスで、現在、重要無形文化財総合指定の大鼓方、高野彰君と同席しました。

 

その際、入蔵がその翌日に国立能楽堂にシテ方の佐藤俊之さんにお誘いいただいて金春会定期能にお伺いすると言ったところ「えっ、僕も出るよ。采女に」との事でした。

 

番組表(能の世界では番組表とは言わないかもしれませんが)をよく見ると確かに佐藤さんがシテ方をお務めになる「海人(あま)」の前の「采女(うねめ)」の大鼓は高野君でした。

 

高野君の公演情報は漏れなく入手しているつもりでしたが、漏れていたようです。

 

26日は「海人」のみ拝見しようと思っていたのですが、せっかくですから、「采女」も含めて、公演を最初から拝見することにしました。

 

能は原則的に上演中の会場への出入りはできないので、「海人」の前に20分の休憩があるだけで、12時30分開演で「采女」終演の15時30分まで会場に出入りできない状況は、トイレ関係に不安がある入蔵には、ちょっと荷が重いかもと思われたのです。

 

最初から観て、ちょうど「采女」の途中で会場を出る状況になったらどうしようと思ったのです。

 

結局は杞憂に終わりました。

 

「采女」の終わりの舞で、シテの舞と大鼓、小鼓が見事に調和、同期する姿を十分に堪能することができました。

 

さて、入蔵はトイレ休憩を済ませ、能楽書林でお土産を買い、エコバッグがいまだに「新発売」となっていることになぜか安心し、客席に戻り、佐藤師(師で良いのでしょうか?)の出番を待ちました。

 

結論を言えば、これまで拝見したあらゆる能の舞台の中で入蔵が最高に感激した舞台観賞になりました。

 

入蔵は今まで能の舞の美しさがわかっていなかったことがわかりました。

 

能の舞は、決して広いとは思えない舞台で、多いとは言えない運動量で舞われるものだと入蔵は思っていた(能を本当にご理解されている方には陳腐に思われるかもしれません)のですが、佐藤師の舞はただただ美しく、優雅、雄大なものでした。

 

法華経の経巻を拝む姿、大臣に経巻を渡す姿から、後シテの、竜女の姿となった母の霊の思いが痛いほど、リアルに伝わってきました。

 

その姿に真情があふれていたのです。

 

今入蔵は、今後、能の見方が今までと全く違うものになるかもしれないと思っています。

 

この公演に出かけた事が直接の理由ではありませんが、この後、ある原稿の締め切りを延ばしていただくことになってしまいました。

 

本当に申し訳なかったです。

 

そのこともあって、ブログ記事のアップが間遠になってしまいました。

 

恥知らずにも入蔵は、昨日、クラシックのコンサートに行き(別稿にする予定です)、今日は落語の稽古(いつにもまして勉強になる稽古でした。差支えのない範囲でこれも別稿にできたらと思います)に行き、その後やっと遅れていた原稿を書き上げ送付したのでした。

 

言い訳になりますが、能、クラシック音楽の観賞、落語の稽古をした後に書いた原稿と、しなくて書いた原稿は内容がだいぶ違っていたと思います。

 

けれど雑誌の編集をしてくださる方にとっては、迷惑以外の何物でもないでしょう。

 

本当に申し訳ありません。

 

ここでお名前を出すわけにはいかないのですが、この方をはじめ、本当にお心の広い皆様に日々助けられて何とか毎日を過ごしている入蔵です。

 

読者の皆様にも心からの感謝をささげます。

 

皆様、本当にありがとうございます。

 

では、また(^O^)/