前回の気づきがあったところからの、続きです。

 

 

 

今回は現在進行形の「かわいい」についてのもやもやの話です。

 

どうももやもやしていることを自分なりに言語化すると、どこからか答えがやってくる法則というのがわたしのなかにありましてにっこり

気分の良くない話ですが、おつきあいくださいにっこり

 

弁天さんがおっしゃってくれてる「あなたはかわいい」。素敵なことです。でも……。

 

先日、そこで働くことに限界を迎え、いま休職している、辞める気満々のお仕事の上司の、ひっかかった言動のひとつです。

 

職場は障害のある方を支援する職種でありました。

 

仕事中の雑談で上司はこう言いました。

 

「(利用者さんについて)能力が高いとかよりも、かわいげのほうが大事だよね」

 

「『こいつかわいいなあ』って思ったら、ちょっと大変でもやってやりたくなるじゃん」

 

「能力が高くても、かわいくない相手に対して無理してでもしてやりたいとか思わないもん」

 

わたしはこの発言が、とてもとても嫌で、でもなんで嫌なのか自分でもうまく整理がつかないでいました。

 

思うんですけどね、かわいいって、がちがちに緊張している、相手に脅えてる、不信感を抱いてる、そういうときには生まれないとわたしは思うんです。

 

(動物や子どもに対して、怖がったり脅えてる様子がかわいいというのもありますが、それをかわいいと感じるのは健全じゃないように思います)

 

考えてみると、障害があるというのは健常者と比較して不自由があって、自分の好むと好まざるとに関わらず周囲に配慮を必要とする状態です。

 

そうしたことが本人の引け目になったり、気まずさを感じたり、周囲と比較して鬱屈した気持ちを抱えたり、そういうの起こりうると思うんですよ。

 

わたしも障害者なのでそういうところあるし、あんまり周囲には障害者だっていいたくないなあと思います。

 

そういった複雑な気持ちがあるかもしれない利用者さんに対して、また障害特性としてひととのコミニュケーションを不得意とすることもある利用者さんに対して、福祉に関わる人間がかわいいのかわいくないのと独断的に評価をくだして、それ次第で対応を変えるというのを悪びれもせずに口にしているのがわたしには耐えられなかった。

 

そういうことで、嫌だったんじゃないかなと思います。

 

一方で、「かわいい」ということにパワーがあるのは、わたしも理解しています。

 

わたしも飼ってる犬がかわいくてかわいくて、犬が喜ぶ顔が見たくて、毎日10キロ一緒にお散歩していたことがあります。また飼ってる猫がかわいくてかわいくて、疲れた日の深夜に大事なものの上にゲーっと吐かれてもまず猫の心配をして粛々と吐いたものを片付けるということがあります。

 

人間であっても、友だちの話すことがかわいくてますます好きになったり。コンビニの店員さんの笑顔がかわいくてその日一日なんだか機嫌良く過ごせたり。

 

かわいいってことは自分も周りも幸せにする、素敵なことだと思ってます。

 

でもさあ!!他人にかわいくあれって要求するのは違わない!?っと吠えて、「かわいい」についてのもやもやの段は終わりにしたいと思います驚き