再掲:決して記憶が薄まることはない「酒鬼薔薇聖斗事件」・本の出版 | 時は止まる君は美しい

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2020年2月4日記事

「神戸連続児童殺傷事件」と映画『友罪』

 

瀬々敬久監督作品、日本、129分

 

 

生田斗真様、瑛太様、夏帆様、山本美月様、富田靖子様、佐藤浩市様、

矢島健一様、光石研様、古舘寛治様、小市慢太郎様

 

 

ずっと引っ掛かっていた映画、『友罪』を拝見しました。

実は、かつて、重大な事件を起こし、社会復帰した青年と、

いじめにあっていた友人を自らも拒絶することで、

自殺に追いやった過去のある、元雑誌記者が、

同時に社員寮のある町工場で、試験採用される。

この二人の間に生まれる関係。

 

 

 

 

 

また、息子交通事故を起こし、二人の子供の命を奪い、

自らの「家族」を解散し、被害者家族のもとに、

贖罪に通うタクシー運転手の

また、その被害者家族

等を中心に描いた作品。

 

 

映画だけを単独で拝見すると、「罪と罰」問題を扱った。

そんな作品ですが、キャッチコピーも、

酒鬼薔薇聖斗事件犯人想起させる通り、あの事件に発想を得ている

そう思うと、抵抗感違和感を覚えてしまう・・・そんな作品でした。

 

 

 

過去に贖いきれないほどの罪を犯した者に与えられる、

「更生による贖罪」というものへの判断の難しさは、

常々感じています。

 

 

 

しかし、あの事件に限って考えると、事件そのものの異様さと共に、

社会復帰した「少年A」の、手記出版ホームページ開設、双方の内容

それは、現実には罪を問えないことでも、重ねての犯罪のように感じます。

 

 

それらが与える印象から、犯人が少年であれば、

更生は可能と、断じていいのか?

更生した。この人物は問題ない。と判じる基準とは?

等々、考えさせられるケース。

 

 

下のドキュメンタリー締めくくりの中の、

「記憶が薄れつつある中」という表現のように、

時間と共に、薄れていく記憶・痛みとは無縁の、

いつまでも記憶の中で、生き続ける記憶の鮮明さと共に、

犯人の自己肯定を見せつけられる、

ご遺族の方々の、やり場がないだろう悲しみを、

感じ続けさせられます。

 

 

猟奇的な嗜好が、文学という形で見事に昇華されている作家

そんな存在は現実にあり、その作品は、

異様さグロテスクさまでが、見事に美しい。それも事実

しかし、それと、現実一心に生きている命を絶つことに、

快楽喜びを覚える性癖を持ち、実行したことに悔いもない

現実に社会に生きる、そういう人物とは、話が全く別

 

 

 

『友罪』原作者『Aではない君と』も執筆されていて、

少年犯罪について、考えるところがあって、

「A」に拘られるのでしょう。

監督がまた『64』の監督さんですね。

素晴らしい役者さんを揃えた、長大な駄作みどりには響かない作品

 

 

 

そして、その長編の主演を務められ、違和感満載でらした佐藤浩市様

今回も、加害者家族のタクシー運転手を演じておられますが、ピンとこない。

被害者家族のお一人を演じられた、光石研様交代して・・・

 

 

よくわからない自信感がみなぎっているのがご容姿に出ている佐藤浩市様に、

悔恨贖罪といったものを体現するキャラは向かない気がします。

神戸の事件そのものを、ここで振り返るつもりはありません。

 

 

 

しかし、社会復帰した後の犯人の、「その後」は、

身の毛がよだつものがあります。

印税高額の所得を持つというその存在。

 

 

かつて「佐川くん」なる人物をテレビに登場させもした日本のマスメディア

あのような本を出版社が世に出し、重版を重ねた。

その功罪も重く感じてしまう。

最後に、Wikipediaより引用の、

出版、ホームページに関する部分を引用させて頂きます。

 

 

「2015年8月29日の消印で、A本人から『週刊文春』宛てに送付された手紙の末尾に、

〈重要なお知らせ〉として「元少年A」のホームページ開設の告知が記され、

手紙の内容と共に9月10日に報じられた

(『週刊新潮』『女性セブン』『朝日新聞』にも同内容の手紙が送られている)

ホームページの告知が末尾に付されていたAの手紙はA4用紙20枚、

2万字以上に及び、その内容は、

『絶歌』の出版経緯をめぐる自分自身の「些末な名誉回復」を中心とした自己主張と、

当初から出版をサポートしていた見城に対する批判や怨恨が大部分を占めており、

被害者遺族への謝罪や事件に対する反省の記述はない

ホームページも、「少年A」の他者に対する忖度や憐憫の欠如、

異常性や危険性が何一つ変っていないことや、

自身を本物の〈異端〉として特別視した

自己顕示欲の場であるという感想が複数の専門家らから指摘されている」