『Frankenstein: The True Story』『Frankenstein』二作拝見 | 時は止まる君は美しい

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巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

 

「否定」の苦しいほどの切なさ

 

『真説フランケンシュタイン』(1973)

 

 

ジャック・スマイト監督作品、アメリカ、183分

 

 

レナード・ホワイティング様、マイケル・サラザン様、デヴィッド・マッカラム様、ラルフ・リチャードソン様

ジェームズ・メイソン様、ジョン・ギールグッド様、マイケル・ワイルディング様、ジェーン・シーモア様

 

 

『フランケンシュタイン』(2004)

 

 

ケヴィン・コナー監督作品、スロバキア、177分

 

 

アレック・ニューマン様、ルーク・ゴス様、ドナルド・サザーランド様、ウィリアム・ハート様、

ニコール・ルイス様、ジュリー・デルピー様、モニカ・ヒルメロヴァ様、ダン・スティーヴンス様

 

 

二作とも、テレビシリーズとして制作された長編

「真説」の冒頭では、ジェームズ・メイソン様が、口上を述べられておられます。

二作とも、かなり豪華なキャスティング。

 

 

 

これまでの、ハリウッド映画によって作られたイメージではなく、

原作忠実映像化。これは、二作共にそうだったようです。

 

 

 

 

多少の違いあれど、似た視点で描かれていました。

 

 

 

 

大切な命失うことで、科学による、命の創造に執念を燃やし、

それに成功する、フランケンシュタイン博士。

 

 

愛する者の蘇生、という視点から、いつの間にか、創造主に。

なので、そこで産まれた命に対して、「愛する」という感情がない

あくまで、「創造物」

 

 

アレック・ニューマン様の、初めから怪物扱いもひどいものの、

初めは美しく、社交界にデビューさせられるほどになった時は有頂天

顔が崩れだすなり、クリーチャー呼ばわりして、嫌悪する、

レナード・『ロミオ』・ホワイティング様の残酷

 

 

 

「怪物」にとって、博士は「父」、一人しかいない理解者となる筈が、

「失敗作」「化け物」「なりそこない」といった言葉を浴びせられる。

 

 

博士にとって、相手が感情を持った一個の人格という認識はない。

追われる化け物は、いくつもの殺人を犯してしまう。

それが、「自分のせい」という認識は持っている博士。

 

 

 

しかし、友も、自分の最愛の人も殺され、

彼にとって「怪物」は、自分の手で始末すべき忌まわしいもの

 

 

北極海にまで続く、追跡の果て、博士死亡

 

 

前者では、博士の火葬に怪物は共に身を投じ

もう一作では、博士を抱いて、北極圏に姿を消す

 

 

 

最後まで、自分を受け入れることのなかった「父」と。

若さの暴走で神の領域に手を出してしまった博士。

数々の死がもたらされる結果は、

怪物のせいというより、博士の傲慢と無責任の結果な気が。

 

 

 

後者の作品では、博士が愛する友も妻も失って帰宅した、

かつては明るく、愛情に満ちていた実家は、父以外誰もいなくなり、

その父は「お前は何者なんだ、出て行ってくれ」と後ろ姿を見せる。

 

 

 

 

 

この拒否を見ても、博士は自分が作り出した生命に、

憎しみばかりを募らせる。

生れた時から、姿を見られるだけで、人に恐れられ、

「一度だけ、を見た。愛し、愛されている夢だった」。

眠っていた時に見た夢を宝物のようにに語る、怪物の切なさ

 

 

 

 

『フランケンシュタイン』に大きく興味を持っていた訳ではなかったみどり。

ここに来て、この作品と巡り会うことは運命だったように思いました。

創り出した人に、愛玩動物時代は愛され、

成長してからは「失敗作」と言われた人生は、

「人生、自分の責任」と思っても、傷は深く、癒されることはありません。

フランケンシュタイン博士と同じく、日記にまで嫌悪が書き連ねてあった。

 

 

今、故人となった父に、何とか再び愛情をと思っても、

遠い他人のようで、取り戻せるものがない。

「クリーチャー」は、自分でもある、二作でした・・・