『The White Crow(ホワイト・クロウ 伝説のダンサー)』(2018)拝見 | 時は止まる君は美しい

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巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

 

白いカラス

「類稀なる人物」「はぐれ者」の意

 

レイフ・ファインズ監督作品、イギリス・フランス、126分

 

 

オレグ・イヴェンコ様、レイフ・ファインズ様、アデル・エグザルホプロス様、ルイス・ホフマン様、

セルゲイ・ポルーニン様、チュルパン・ハマートヴァ様、ラファエル・ペルソナ様他

 

 

ルドルフ・ヌレエフを演じられたオレグ様は、タタール劇場現役プリンシパル

ヌレエフ様ご自身がタタール系でらっしゃるんですが、

オレグ様もなのでしょうかそれで骨格が似てらっしゃる

 

 

 

オーデションを勝ち抜かれたのも納得な、ちょっとヌレエフ様を想わせるお顔立ち

 

 

なんと、ヌレエフ様って、シベリア鉄道汽車の中でお生れになったのですね。

軍人である父の不在の中、苦労して家庭を支えた姿などの幼少時代

17歳で、ワガノワ・キーロフバレエ学院に入学してからの、

人の倍のスピードで成長しないとという想い

気に入らないレッスンへの反抗的態度、講師を変えさせる暴挙

 

 

 

キーロフ・バレエの団員として、パリでの公演に参加し、

そのまま亡命に至るまでの滞在期間

 

 

 

 

 

自由に交流し、出歩く彼はKGBからマークされる。

 

 

 

 

これらの時間錯綜して描かれます。

あれ?と思ったのが、ソ連での役者さんの言葉が、英語じゃない!

ヌレエフ様を教えた先生を、ファインズ様自らが演じられてますが、

吹替の口パク?にも見えない。おパリでの各国それぞれの台詞も、

あれ?「英語統一」じゃない???

 

 

後でインタビューとか拝読したら、ちゃんと、それぞれの言語

ファインズ様も吹替なしで挑んでらっしゃったんですね!

あの、「どこでも台詞は英語でOK」っての、

英語が母国語の方でも、不自然に感じてらっしゃる方いらっしゃったのねえ。

ってこともあり、臨場感ありました。

 

 

是枝監督の新作を、いきなり吹き替え版メインで上映しちゃう日本の、

映画配給会社ダサさ。ファインズ様の爪のあかを配って飲みましょう?

ダンサーを主演に据える程で、バレエの場面も、ちゃんと踊り拝見できる

アップとのカットのつなぎ多用した、踊り全体を臨場感もって拝見できない

そんなもどかしさなく、通しで、バレエに没頭して拝見出来る!

 

 

それも、表情同時に拝見できる距離感で!これは嬉しい。

本当にレイフ・ファインズ様、痒い所に手が届く監督ぶり☆

 

 

 

私がヌレエフ様を知ったときは、既に、振り付けもされる大御所で、

プロ、という雰囲気でしか拝見してなかったんですけど、

いやまあ、若気の至りは傍若無人天才のお一人でらしたんですねえ。

 

 

身体にタトゥを入れられているってだけで、既にみどりの中で、

バレエダンサーとして「パス」、英国ロイヤルバレエ団プリンシパルの座を、

自分が望んだ道じゃないとポイ捨てされた言動「パス」な、

フリーのダンサーでらっしゃるセルゲイ・ポルーニン様もご出演。

 

 

 

バレエを踊られるチャンスでらっしゃいましたね。

 

 

ヌレエフ様が、マーゴ・フォンテイン様との運命的な出会いで、

54歳で亡くなられるほぼ10年前まで、ロイヤルバレエ活躍されてらしたのは皮肉

そんなヌレエフ様を描く映画に、よくまあ出演したわね、ボルーニン様の面の皮

ゲイ差別発言もあったようですが、ヌレエフ様、ほぼカミングアウトなゲイですよ。

しかし、そのボーニン様に勝るとも劣らない、若きヌレエフ様、の言語道断ぶり。

いやあその後大人になられたのね。

 

 

ここで亡命しないと、それこそ、踊れなくなるという状態からのぎりぎりの亡命。

当時亡命するということは、母国にいる、家族最低の状況に追いやること、

というイメージでしたし、この作品の中でも、脅し文句として使われてました。

あのコマネチ様の亡命も、自分たちの命を失っても、と、

ご家族勧められての、命を懸けた亡命でらしたと聞きます。

チャウシェスク政権があのタイミングで崩壊しなければ、本当に殺害されていたかも。

ヌレエフ様が、お母様の危篤の知らせに、会いに行かれたことがテロップで映されます。

実際は、1989年にはキーロフ劇場で、公演もされてらっしゃる。よかった・・・

 

 

Rudolf Khametovich Nureyev様

 

 

1938年3月17日~1993年1月6日

 

 

享年54歳

 

 

 

 

 

・・・ということは、森下洋子様と組まれての公演を広島で拝見できたのは、

最後の10年間の中の、しかも、AIDSで踊りが不可能になられるまでの間!?

物凄く有難い幸運なことだったんですね。運命に感謝・・・