「Le fils de l'autre(もうひとりの息子)」 (2012)平和が可能な世界 | 時は止まる君は美しい

時は止まる君は美しい

巡りあった美しい人達の記憶を重ねます・・・
B面ブログ「扉・鎧戸・宵の口」も始めました。

 

平和が可能な世界(監督のお言葉より)

 

ロレーヌ・レヴィ監督作品(フランス)101分

エマニュエル・ドゥヴォス様、パスカル・エルベ様、ジュール・シトリュク様

マハディ・ザハビ様、アリーン・ウマリ様、カリファ・ナトゥール様、エズラ・ダガン様

 

 

エマニュエル・ドゥヴォス様、「真夜中のピアニスト」「風にそよぐ草」等でお会いしてます。

そして、毎回、ナターシャ・マケルホーン様間違える

「一粒で二度おいしい」ってキャラメルがありますが「二粒で一度おいしい」状態?

ポスターのドゥヴォス様と似た角度のマケルホーン様の御写真見つけたんで、

ちょっとこれを機に、比べてみます。・・・似てる?骨格とエキゾチックさかな

 

 

なんていう、暢気な話ではないんです、映画は。

みどりは、旅もしないし、この歳になって来ると、

人付き合いも、昔のように、頻繁に動き回ったりもしない。

近親者は、老いて施設に入居している母と、うちの3にゃんこだけ。

世論に声を上げることも、政治に関わることもない。

そんな中、映画という、一種の虚構の世界に接し、学び、考える。

ひたすら、考え続けるだけ。一種、自己完結

それだけなので、ぽっくり逝っちゃえば、それでお終い。

拝見しながら、そんな、映画と関係ないことを想ってしまいました。

 

 

その位、切々と考えさせられることの多い作品。

イスラエルパレスチナの、それぞれの一家族。

 

 

イスラエルは兵役があるんですね。

18歳になった、フランス系ユダヤ人ヨセフは、

入隊に際しての検査・診断で、両親の実子でないことが判明する。

 

 

 

調査の結果、彼が生まれた、湾岸戦争時、避難勧告の中、

看護師が、同日に生まれた、隣あった病室の新生児と取り違えをしたいたと。

 

 

その子供は、パレスチナで育ち、現在パリで勉強中。

医者になるべく、入学試験に受かったばかり。

双方の両親が、病院で事実を聞かされ、悩む。

 

 

どちらも、母親は割と柔軟だが、父親は受け入れる気持ちになれない。

 

 

しかし、そんなだからこそ、余計に、口論があったりで、結局どちらも子供の知る所に。

ヨセフは、人生ずっと、真面目なユダヤ教徒だったにも関わらず、

ラビに、新たに「改宗」しないと、ユダヤ教徒として認められないと告げられる。

(ここらへん、ユダヤ人、ユダヤ教の歴史背景が深く影響あってのものだそうです)

パレスチナのヤシンは、将来は一緒に病院を持とうと約束したに、

憎むべきイスラエルの人間など、兄弟と認められないと、拒まれる

 

 

新生児の取り違えだけでも、人生とんでもない問題だと言うのに、

犬猿の仲の国に分かれ、しかも、それが宗教問題に根差している。

 

 

救いとなるのは、どちらの家庭も、家族仲がよく、両親ともに人格者という点。

(そうでないと、話自体が進まない状況設定ですし・・・)

お互いの家族の顔合わせが行われ、交流が始まる。

 

 

 

18年、自分達の子と思っていた子供と、実の子を目にした親。

成長という過程の中で築いてきた、自己のアイデンティティーに悩む子供。

 

 

国と国の間には、壁が築かれ、国境の行き来は厳重な検問がある。

 

 

 

映画では、そんな中でも、育まれるものがあり、

ラストシーンのヨセフの独白には、胸を打たれます。

 

 

いや、映画全編、涙腺が弱かったら泣きっぱなしでしょう。

お肌も涙も枯れたお年頃なので、それはなくて助かったみどり・・・

フランスで生まれ育った、ユダヤ系のフランス人である監督が、

自らは、その地で育っていないことを認識し、政治性を抜きにした上で、

持ち込まれた発案を、三年という歳月をかけて脚本化し、

あくまで現地での撮影という形で創り上げられた映画。

 

 

影現場でも、それぞれの国のスタッフの心理的変化があったそうです。

監督のインタビューでの言葉が、ニンゲンという、愚かな道を歩む傾向が強い生き物に、

選択という余地の可能性を示してくれているように思います。

 

 

「この作品は、異なる立場にいる両者が、

互いに手を差し伸べることを描いた、希望の映画です。」