「自分」を持つことが許されない世界
ヒトラー内閣が1933年に樹立される1年前から1945年までが舞台。
実際に起きたヒトラー暗殺未遂を題材とした映画。
2015年、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督作品。(ドイツ)
冒頭、敬虔なプロテスタント教徒の、家具職人、ゲオルク・エルザー様の周囲の、
何気ない日常。日の光の中、友人たちとピクニックに行き、海で泳ぐ。
ごく普通の日常が、少しづつ変化していく。
酒場でのテーブルごとの、ナチス色が次第に大きくなり、
反ナチスを凌駕していく。
総統閣下の名の元、テントで記録映画が上映され、
喜んで見に行かないことは「異質」となる。
反ナチ運動家は、強制労働に従事させられ、罵倒する輪に入らなければ、それも危険。
ユダヤ人と付き合っているとさらし者にされる。
この間まで普通に付き合っていた人たちの、「当たり前」な変化。
そんな中、エルザー様(クリスティアン・フリーデル様)は変わらない。
別に、共産党に入るとか、反ナチ運動に参加するとかではなく、変わらない。
変わらないから異質。
これは、戦争というものの恐ろしさ、価値観の問題に大きく関わると思います。
戦争とかでなく、単純な嗜好だって、実際社会、日本って大多数と同じでないと、
会話に入りにくく、しんどい事が多い。いわんや、そんな社会情勢になると・・・
想像するだに恐ろしいものが。
やがて、ヒトラーの演説の会場に爆弾をしかけ、暗殺を謀るエルザ―様。
これが、単独犯、政治的背景無しなのがすごい。驚く勇気です。
その足での亡命に失敗、捕らえられ、尋問を受け、正直に自白するも、
「単独犯」という事実をヒトラーは決して認めない。背景を明らかにすべく拷問が続く。
暗殺未遂が1939年11月8日。処刑が1945年4月9日。
ヒトラーの自害が同年11月30日。それまで処刑されず、収容されていらした、6年近くも。
この事実の理由は諸説あるそうですが、「単独犯」を認めようとしなかった執念を感じます。
敗戦が目に見えている、間際の騒然とした時に、それでも処刑執行命令が出される細かさ?
普通~に不倫恋愛してたりする一国民の、こんなこと間違っているという意識の持続、
それに対する、暗殺計画という実行。感じるもの大きい一作でした。
一歩間違えば、ただの犯罪者にもなり得るんで、価値観って本当に危ないとは思いますが。
+1枚は、「取り調べ」を「撮影」している場面。カメラアングルとか指示されて撮影。政治は怖い?
こうやって「現実」も演出されちゃうんでしょう。