「劇場」の花形、サラ・ベルナール様
前に、実在のドゥミ・モンデーヌの方へのオマージュ写真を見つけ、
記事にさせて頂いたことがありました。
その時、この方は、ベル・エポック時代の純然たる大女優と言った方がピンときますが、
Sarah Bernhardt(サラ・ベルナール)様へのオマージュもありました。
↑ こちら、本物のベルナール様の、超有名写真ですね。
↓ こちらの3枚が、オマージュ写真。
モデルさん、上手いなあ~。確かに、当時のお芝居は、こういう感じだったでしょう。
実際のベルナール様、の演技を彷彿とさせるお写真。
1844年10月22日~1923年3月26日、享年78歳。
娼婦の母、弁護士の父の私生児として生まれ、生活の為に、当時は売春を兼ねるのが、
当然だった、貧困層でも、美貌があればつくことが出来た、女優の世界へ。
ここで、この方はナポレオン三世の異父弟という、大物パトロンをゲット。
その援助で、国立音楽演劇学校へ進み、本格的に演技の道へ進むことに。
1862年、22歳で本格的舞台デビュー。1970年代に、名声を博しておられる。
かつて、「イサドラ・ダンカン様」 でも、ちょっとだけ触れさせて頂いたベルナール様。
この方の舞台は、Alfons Mucha(アルフォンス・ミュシャ)様によるポスターと、
切って離しては語れない所もあって、そこらへんになると長くなりますので、
今日は、あくまで、オマージュ写真と、昨日の映画記事から、
舞台女優としての、ベルナール様の、写真スナップのみを拝見させて頂くということで。
ヨーロッパのみならず、アメリカでも名声を博し、LIFE誌のお写真も。
1880年代には、ニューヨークのトーマス・エジソン邸にて、
ジャン・ラシーヌ作「フェードル」の朗読を録音、絵画などのモデルを務めたり、
勿論、「社交」生活も華やかなるもので、ベルギーの貴族、リーニュ公子との間に、
唯一のお子様をもうけてらっしゃって、このご子息、モーリス様は作家となり、
ポーランドの公爵令嬢とご結婚。
サラ・ベルナール様の最期は、息子さんの腕の中で息を引き取られ、
国葬の礼を受けられておられます。
「かの有名な」お写真が、ポーズや焼き方で、万華鏡のように表情を変えていくように、
ドラマティックに人生を、様々な色で彩られた、サラ・ベルナール様。
舞台での怪我が元で、後に、片足が義足となっても女優を続けられた女(ひと)。
1990年には、無声映画「ハムレット」に、ハムレット役でご出演。
この「無声映画」、シリンダーによる録音も行われ、ある意味、「無声映画」ではない。すごい。
3枚のお写真から、駆け足で、サラ・ベルナール様のご一生を、ちらりと垣間見せて頂きました。
こちらをアップしてから、イサドラ・ダンカン様の記事を、再度点検しに行ったら、
ジェレミー・アイアンズ様と前後していてびっくり。思考回路のどこかが繋がってるのかな?
また、改めて、ミュシャ様の絢爛たるポスターと共に、お会いできる日を楽しみに・・・
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