再掲・一瞬を駆け抜けた「マリリン・モンロー」の時間 | 時は止まる君は美しい

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2015年1月6日記事

新婚旅行で揉めるって悲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、この時の、肺炎になってまで生身でやりとおされた、

マリリン様の慰問コンサート、まばゆいきらめき。

 

 

 

 

ハネムーンから朝鮮戦争慰問へ

 

Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)様、1926年6月1日~1962年8月5日、享年36歳。

Joseph DiMaggio(ジョー・・ディマジオ)様、1914年11月25日~1999年3月8日、享年84歳。

1952年に出会われ、1954年1月14日、お二人とも、2度目になるご結婚へ。


 


 

結婚期間は9か月で1955年、ご離婚。

 





 

1954年(昭和29年)2月1日~25日、新婚旅行で日本へ。

東京、静岡、福岡、広島、大阪と回られ、ディマジオ様は球団へ野球指導に行かれる。

来日した時から、インタビューが妻に集中するのを不快に感じていたディマジオ様。

それでも、そこそこ円満に過ごされていらしたようですが、

球場へは絶対に来てはいけないと妻に言い渡すも、広島で遂に球場へ来てしまった妻。

またもや、人々は妻に群がり、ディマジオ様爆発。


 



 

広島でのものというお写真三枚。三枚目は宮島対岸の旅館の庭園?

30年前はまだ、ありましたが、今は既に・・・あそこは?マンションだったかな・・・

ディマジオ様が球場にばかり行っていては、

モンロー様だって暇を持て余しますよね。ハネムーンだったのに。

結局、在韓米軍の慰問を依頼されていたモンロー様、

ディマジオ様の「行くな」を振り切って、2月16日から20日、慰問へ。

 



 

4日間で10のショーを行った他、病院などを慰問する強行軍スケジュールをこなされた。

2月の韓国、兵士たちの服装を見れば、どれだけ寒いかよくわかる。

さあ、行きます。写真、続きます!長いですよ、今日は。


 

 

 

 

そんな寒さの中、ステージではスリップドレス、兵士たちの前に出る時は、
出来るだけ、シャツ姿などで、厚着をせず体のラインを出されておられるのが、

写真を拝見するとよくわかります。





 

フィルムはYouTubeなどでも拝見出来ます。



 

 

 

 

 

 

 

映画撮影とは違い、ファンと直接交流する時や、カメラセッションはリラックスされて、

楽しまれたと言われるモンロー様。その時のことを語った言葉がありました。




 


 


 

 

 

「信じられなかったわ。何千人もの人たちが、私に声援を送ってくれたのよ。
怖かったけど、またやりたいわ。

朝鮮の駐屯部隊の為に歌を歌ったあの時まで、

あれ程沢山貰っていたファンレター本物と感じたことがなかったの。

凄かった!皆が私を歓迎してくれたのよ!」



 


 

 

 

昨日の記事のディートリッヒ様は最前線まで行って、慰問を続けられました。

あの方の場合、生涯、あふれるが如き母性愛をファンに注いだという感じですが、

マリリン様は、やはりあの方らしい、何かで孤独を埋めたい、認められたい、

という想いを、強烈な体験の中で充たされた一時、全身で応えたという印象。 


 


 



 

一瞬でも長く、少しでも多く、自分を見せてあげたい、握手に応えたい、サインしてあげたい、

写真に一緒に写ってあげたいという、マリリン様のお気持ちが伝わって来ます。

 

 



 



 

9か月のご結婚中、ディマジオ様との争い、DVが多く証言されたりしていますが、

マリリン様の亡くなる2日前、離婚後もずっとなにくれとなくマリリン様の力になっていた、

ディマジオ様、ご友人に、彼女との再婚が決まった!とおっしゃられていたとか。

ディマジオ様の息子さんも、肯定しておられますし、

マリリン様がウェディングドレスを発注していたという話も。



 

マリリン様が亡くなられた後も、彼女を愛し続け、亡くなられる前の最後のお言葉が、

「やっとマリリンに会える」という一言だと伝えられるディマジオ様。

初めて会った日に、「野球の事、よく知らなくてごめんなさい。」

「気にしないで、僕も映画の事はよく知らないから。」とかわされたという会話。



 

そりゃあもう、ロマンスだと思いますが、お互いへの理解がもっとあって、

ディマジオ様に癇癪や暴力癖が無かったら、モンロー様は、彼女が望んでいた、

「女性としての幸せ」に恵まれていらしたのではないか?と思うし、

モンロー様が、もっと精神的に安定して、人生を進まれていらしたら、

アーサー・ミラー様とのご結婚が、新しい、ご自分が望み続けていらした、

知的な演技派女優としての展開をもたらしてくれただろうに・・・と思ってしまいます。



 

それをいくら言ったからとて、既に、皆さまが人生を全うされて、終わってしまったこと。





 

 

ただ4日間、戦地を慰問しつづけたモンロー様を捉えた、

数限りない兵士たち、カメラマンたちが撮影した写真やフィルム。


 

 

 

 

人生の中で、時々、充たされる一瞬があった、モンロー様の時間の一かけらが、

遺されている・・・それはもう、本当に沢山・・・個人所蔵であっただろうお写真に残る、

何度も何度も繰り返し、見て懐かしまれただろう、皺と共に。